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留学同(在日本朝鮮留学生同盟)が朝鮮半島情勢をはじめとして様々な情報や見解を発信するブログです。

愛知朝鮮高校無償化裁判控訴審から再度高校無償化裁判について考える

 2018年12月12日、愛知朝鮮高校の生徒・卒業生らが起こした「朝鮮高校生就学支援金不支給意見損害賠償請求訴訟」(2013年1月24日)の控訴審が行われた。今年4月27日に名古屋地方裁判所において、不当判決が下された後1回目となる口頭弁論であった。

 法廷では原告の意見陳述、代理人の要旨陳述が行われた。原告は、地裁判決で「朝鮮学校に無償化制度が適用されなくても、単にお金がもらえないだけで、民族教育を行う自由や学ぶ権利を侵害しているわけではない。」と言われたことに対して、学生たちの姿に目をくれず、お金の問題として片付けたことに強く憤りを感じており、生徒たちが学力や人間力を育む勉強や部活の時間を削って、街頭宣伝や署名活動を行っている現状をみても、民族教育を受ける権利や学ぶ権利を侵害していないと述べたことは、原告たちだけでなく、裁判所を信じて頑張る朝鮮学校の生徒たちの姿をも否定したのだと述べた。
 地裁判決は、朝鮮学校に存在する政治的な部分を挙げ連ねて、朝鮮総連から「不当な支配」を受けているという「疑い」を認定し、無償化制度からの排除を正当化した。今回の意見陳述では、この地裁判決には朝鮮は独裁者が核開発に走っている危険な軍事国家であり、朝鮮総聯も日本社会を脅かすような反社会的な団体という価値観が根底にあるのではないかと指摘した。また、日本社会の現状は、朝鮮や朝鮮総聯をバッシングする報道ばかりであり、そのような社会の中で朝鮮学校だけが、朝鮮という国のあり方やリーダーはどんな人物なのかを朝鮮の視点も含めて教えてくれる。そして、このような社会の状況の中でも、朝鮮人として生まれたことをまっすぐ見つめ、生き方の選択の機会を与えてくれる場所であり、地裁判決では、日本の学校にある自由が朝鮮学校には存在しないというように述べていたが、それはむしろ逆で、朝鮮学校で学ぶことで精神的に自由になれると述べた。最後に、今一度私たちの声に耳を傾け、姿を見て、朝鮮学校と、学生たちと真摯に向き合うことを裁判所に求めた。
 代理人弁護士の要旨陳述(控訴理由書、準備書面1、準備書面2)では、国側が朝鮮学校を不指定処分とした理由である①省令ハの削除、②愛知朝鮮高校の2012年度の教員数が規程6条の必要教員数に満たないこと、③愛知朝鮮高校が規程13条に適合すると認めるに至らなかったことを挙げながら、規定6条と規定13条は省令ハに基づく指定の基準を定めた下位法令であり、省令ハが削除されるとその存立の基礎を失うため、論理的にこの3つの処分理由は両立しえないことを指摘した。
 そして、省令ハの削除と本件規定に基づく不指定理由のどちらが有効な処分理由となるかは、省令ハの削除の効力発生時期と本件不指定処分の効力発生時期との時間の先後関係により決まる。省令ハを削除する改正は2013年2月20日に公布、施行され、その日に効力が発生するが、本件不指定処分は、2013年2月20日付の愛知朝鮮学園に対する行政処分であり、特定の相手に対して行われる行政行為は、一般的に告知により効力を生じるものとするため、本件不指定処分の効力が発生したのは、書面が学校に到着した日であることは間違いない。(発送日が2013年2月20日であるため、到着した日は2月21日以降である。)これは、最高裁を含めた判例、通説の一致した見解である。そのため、本件不指定処分の効力が生じた時点では、省令ハは削除されているため、愛知朝鮮高校が規定13条に適合すると認めるに至らないと言う理由に依拠して本件不指定処分を適法とした地裁判決が論理的に誤っており、省令ハの違法性が審査されなければならないということを指摘した。
 そして、省令ハの削除は、高校無償化法による委任の範囲を逸脱する違法な措置であり、高校無償化とは無関係な拉致問題や、朝鮮民主主義人民共和国及び朝鮮総連との関係から朝鮮高校を無償化から除外すべきという政治的考慮に基づくものであると述べた。
 また、地裁判決では、本件省令ハの削除は、朝鮮高校に対する差別感情を助長させる効果は認められないとし、人格権侵害を否定したが、高校無償化から朝鮮高校生を除外する国の一連の行為の後、インターネット上で朝鮮学校に対するヘイトスピーチが顕著に増大したことを指摘し、裁判所にヘイトスピーチを一覧にして別紙として控訴理由書に添付した。その他にも、名古屋大学の石井拓児准教授の意見書を引用し、愛知朝鮮高校が教育基本法16条1項の禁ずる「不当な支配」を朝鮮総聯から受けているなどの疑念があるとして、教育内容にまで言及した地方判決は、規定13条及び教育基本法16条1項に対する解釈の誤りだと指摘。教育基本法16条1項は、「教育の中立性」を命じているのではなく、「教育の自主性」を歪めるような「不当な支配」を禁じており、この存在事実は、教育主体である学校・職員等の当事者によってのみ具体的に示すことができるものであるとした。そして、教育内容に干渉するということは、私立学校の独立性に国が関与するということであり、「日本の教育」を根本的に揺るがしかねない判決だと述べた。

 改めて愛知の地裁判決を振り返りながら、国側の理由は論理として全く成り立っておらず、意味不明な反論をしていることは顕著である。それにもかかわらず、地裁判決は薄弱な根拠に基づく事実認定と、教育法に対する誤った理解によって国側の判断を追認している。このように明らかな不当判決を認め、当たり前だと思うこの日本社会の現状に我々は危惧しなければならないし、危惧している在日朝鮮人、日本人が少なすぎると私は思う。在日朝鮮人が日本で民族教育を受けることを阻まれ、朝鮮人として生きることを否定されるようなこの社会で、朝鮮学校に通う子ども達が、在日朝鮮人が、人間としての権利を取り戻すために、まずは世論を変えていかなければならない。そのためにはもっともっと声をあげ、抵抗しなければならないし、私自身、人間としての権利を取り戻すために抵抗し続けることを誓い、終わりたいと思う。(純)

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※名古屋高等裁判所への前川喜平元文部科学事務次官の証人採用と公正公平な裁判を求める「はがき要請」活動にご協力ください。

※※ネット、紙での署名活動も行っているため、ぜひご協力ください。
・ネット署名
・紙署名

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三・一運動100周年と在日朝鮮人―朝連の三・一記念闘争と三・一認識(二)

三・一運動100周年と在日朝鮮人(一)


2.1947年の三・一記念闘争

 

―朝連の臨時政府樹立促成:「人民の人民のための人民政府の樹立運動」

 既に見てきたように、朝連の三・一記念闘争、三・一認識を論じる上で、在日朝鮮人運動の課題や建国路線の検討は欠かせない。朝連はこの時期、米ソ共同委員会に基づく朝鮮臨時政府樹立のための運動を展開した。たとえば「新朝鮮建設」、朝鮮人民共和国支持、モスクワ協定支持を掲げた朝連は1946610日には大規模な臨時政府樹立促成のための人民大会を開催した。この大会で発表された「宣言」では、「朝鮮建国の唯一の目標は封建主義を排除した自由と権利が保障される人民共和国」であること、大地主、大資本家だけの利益を代表する「専制政府樹立」と「人民の人民のための人民政府の樹立運動」を破壊しようとする動きがあること、そのため「連合諸国の友好と協調下に一日も早く民主主義臨時政府を樹立するよう奮闘、努力すべきである」ことが呼びかけられた。朝連は「専制政府樹立」に反対し、「人民の人民のための人民政府」を樹立するために、米ソ協調に基づいた臨時政府樹立促成を極めて重要な課題としていたのである。

 こうした活動のなかで朝連は朝鮮人民共和国を支持し、朝鮮人民委員会への政権の委譲を訴えた。朝連は194696日に開かれた人民委員会誕生一周年記念式に本国特派員として金正洪氏を派遣した。金正洪氏が祝辞を述べた後に採択された決議文では、日帝残滓の精算、土地改革・重要産業の国有化・労働法令制定・男女平等法の実施、「軍政は政権を人民の自治機関である人民委員会に渡すよう要求する」こと、逮捕者の釈放を要求することなどが決議されたという。そして朝連は解放後二度目となる三・一記念に際しても、檄文にて「朝鮮の政権を人民委員会に渡せ」という要求を掲げることとなったのである。

 このように朝連は親日派を除外した勤労人民が主体となる民主主義臨時政府の樹立を目指し、日帝残滓の掃蕩や土地改革をはじめとする社会改革を要求した。朝連婦女部、婦女同盟などの解放直後の在日朝鮮人女性運動も、民族解放/階級解放/女性解放を連関させ、同時遂行すべき課題とした本国の女性運動と連携した活動を展開した。

 なおこの時期、三・一と同様に六・一〇も民族解放運動の記念日として重視されていたことが確認できる。たとえば、「血に彩られた朝鮮解放史」という記事を機関紙にて連載した劉宗煥氏は「朝鮮の解放運動史を語る場合、忘れることの出来ない二つの大きな事件がある、三・一革命と六十革命がそれだ」と強調した。また『民衆新聞』も「この人民大会を六月十日に挙行することも大きな政治史的意義がある」として、「三一運動が朝鮮の民族ブルジョワジーたちを中心とした自然発生的闘争だとすれば、六十万歳事件は朝鮮プロレタリアートのイニシアティブ(創意)に起因した目的意識的政治闘争だった」と主張した。

 

―南朝鮮/日本における米軍の占領政策と在日朝鮮人

 それでは解放後二度目の三・一記念日を前に、在日朝鮮人運動はいかなる課題に直面していたのだろうか。解放後、南朝鮮を占領した米軍は日帝支配下の既得権層である親日派官僚、警察、地主を温存し、朝鮮人民共和国・人民委員会、左派を弾圧した。米軍政は占領直後に朝鮮人民共和国を否認・弾圧し、第一次米ソ共同委員会の決裂後に精版社偽札事件を捏造し、共産党を一層非合法化していき、9月には左派系新聞を停刊させ、共産党の指導者であった朴憲永に逮捕令を出したのである。

 こうした米軍政による占領政策、親日派官僚・警察の温存と左派・人民委員会弾圧は朝鮮民衆に大きな怒りを募らせることになる。とりわけ深刻な食糧難のなか行われた親日派警察による穀物の強制供出に対する朝鮮民衆の憤怒は極めて激しかった。

 こうしたなか9月ゼネスト・10月抗争が発生する。1946923日には釜山の鉄道労働者が大規模なゼネストを起こし、南朝鮮全域にゼネストは爆発的に拡がっていった。そして、101日に大邸にて起きた警察の発砲事件を契機として、人民委員会が強力だった地域を中心に各地で朝鮮民衆の抗争が拡がっていった。この抗争は米軍政の占領政策の失敗を浮き彫りにした一方で、抗争に対する弾圧によって人民委員会の破壊と右翼・警察勢力の強化は決定的なものとなった。

 朝連はこうした南朝鮮の状況に呼応し、弾圧への反対、人民抗争の支持、人民委員会への政権委譲要求を掲げ、逮捕者釈放要求などの活動を行った。精版社偽札事件の後に『民衆新聞』は「不法弾圧による民戦犠牲者即時釈放」を掲げるようになり、19471月に開かれた第九回中央委員会で朝連は「臨時政府樹立促成対策」として「人民抗争による犠牲者の家族を救援し、死刑を絶対に反対すること」を活動方針として可決した。

 たとえば金天海氏は談話を通じて9月ゼネストの直後に、ゼネストは「独立すなわち朝鮮人民の要求である軍政から人民委員会へ政治を渡せという朝鮮民族自由独立と関連がある全民族的要求の表現」であるとし、10月抗争の際には「この全責任は警察と李承晩系及び反動団体の反人民的、背民族的行動にありこれは正に朝鮮軍政当局の責任だ」と訴えた。9月ゼネスト・10月抗争の原因を米軍政の占領政策に求め、これに対して批判を加えたのであった。なお朝連は九月ゼネストと十月抗争を一連のものと捉えており、「九、十月事件」、「人民抗争」、「ゼネスト」などの表現をあまり区別せず使用していたことが確認できる。

 一方、日本を占領していたGHQは日本政府による在日朝鮮人に対する取締りの強化、弾圧を認め、在日朝鮮人運動に対する強硬姿勢を示していった。在日朝鮮人に対する日本政府の警察権・裁判権や侵略戦争の負担を強いる財産税の適用を認め、194611月には引揚げを拒否する朝鮮人は朝鮮政府の樹立まで日本国籍を保持するという見解を発表する。また進歩党代議士の発言(19468月・「椎久発言」)をはじめとする朝鮮人に対する偏見・憎悪の煽動、国会による日本国籍保持論の公言(19469月・「吉田発言」)、大阪居住証明問題(大阪府が独自で在日朝鮮人に対する監視・取締り強化のため実施)など、この時期、在日朝鮮人の法的地位、生活権は危機にさらされていた。


『解放新聞』警察写真  

※『解放新聞』1946年10月15日付写真


 こうした一連の法的地位、生活権の侵害に対応するため、朝連は19461110日に在日本朝鮮人生活権擁護委員会を結成し、1220日には朝鮮人不法弾圧に抗議するための大規模デモ行動を繰り広げた。しかしこのとき、首相官邸前で警察とデモ参加者の衝突が発生し、大会決議文を携行した十名の交渉委員が逮捕されるという「十二月事件」が発生した。その後、GHQ1947219日に在日朝鮮人の要求を受け入れることなく、南朝鮮送還を条件とした釈放を発表した。

 こうして十月抗争、十二月事件をはじめとする弾圧への対応、犠牲者・逮捕者に対する釈放要求運動が現実の焦眉の課題となるなかで、三・一記念闘争が展開されることとなった。

 

―三・一記念闘争の方針と準備過程

 朝連は194712829日に行われた第九回中央委員会にて、記念闘争方針を決定した。朝連は解放後二度目の三・一記念日を前に、在日朝鮮人の現実の課題と結びつけて運動を展開することを強調し、記念闘争を繰り広げた。実際に闘争方針では、「日帝の残滓勢力掃蕩」/「在留同胞の民主主義路線への民族統一」/「本国民主臨時政府樹立促成」などの当面の現実の闘争と結びつけて展開すること、十二月事件及び南朝鮮人民抗争における犠牲者釈放運動、生活権擁護闘争などの現実の闘争と結びつけて活動を行うことを掲げた。そして三・一記念闘争の目標として「三・一の革命的伝統を正当に継承して未完成なその偉業を完遂させる闘争と日常闘争とを結びつける」ことを強調した。

 さらに、三・一運動の意義を在日朝鮮人に伝えるため、三月一日以前に各組織別に講演会、研究会、記念出版機関紙などを通じて三・一運動当時の祖国の惨状、運動の経過、その犠牲と闘争の成果などを宣伝した。実際に朝連東京は講師団を組織し、2月中に傘下各支部を巡回して、三・一運動の意義を宣伝した。

 朝連は1947年の記念闘争において、十二月事件をはじめとする弾圧事件、取締り強化を受け、1946年の記念闘争よりも「規律と統制」の厳守、法的手続きの「履行」などを強調した。九中委方針ではGHQに記念闘争の趣旨を理解させ、記念集会や示威行進に関する法的手続きを正確にすることを決定した。その後朝連中総は闘争方法として、屋外集会や街頭デモを行うときは行進の指導部を編成・配置し「規律と統制を厳守する」こと、「たとえば十二月事件のような敵の挑発にのらないこと」、「法的手続を完全に履行する」こと、不祥事を起さないため始めからトラックを使用しないこと、「今度の闘争は慶祝的な気分にながれまた興行、娯楽的におちいることのないよう」に徹底することを決定した。1946年の三・一記念日から一年を経た1947年に、在日朝鮮人は厳しい警戒のなかで三・一記念日を迎えなければならなかったのである。

 また朝連は在日朝鮮人に対する取り締りが強化され、十二月事件直後という状況下で日本の革新勢力との提携をより重視し、革新勢力に対する宣伝活動をより強調するようになる。実際に九中委では、「十二月事件を契機として日本の民主戦線と密接な連携性を持つようになり不当弾圧反対の協同闘争が展開されている」ことが報告されていた。こうしたなか朝連は三・一運動/記念闘争の意義を「日本友好団体及び進歩的人民大衆に認識、普及させるよう努力すること」を方針として決定した。

 そして朝連中総は213日に文教局にて、「三一運動二十八周年記念闘争協議会」を構成し、218日の協議会では記念日当日の具体的な方針を決定した。この協議会は朝連のほか、在日本朝鮮民主青年同盟東京本部、在日本朝鮮学生同盟関東本部をはじめとする20を越える諸団体によって構成されていた。また東京のほかにも2月下旬ごろに各地で三・一記念行事準備委員会などが構成され、三・一記念大会の準備が進められた。

 

―三・一記念大会


全体 

 こうした方針、準備のなか、在日朝鮮人は解放後二度目となる三・一記念日を迎えた。この日、東京(日比谷公園音楽堂前、15千名)、三多摩(立川病院大講堂、千名)、千葉(旧日立航空会館、15千名)、神奈川(横浜公園米軍野球場、5千名)、長野(長野市城山国民学校、千二百名)、静岡(朝連静岡本部前広場、3千名)、石川(金沢市公会堂、2千名)、大阪(中之島中央公会堂、2万名)、京都(京都円山公園音楽堂、1万名)、滋賀(大津中央国民学校講堂、1万名)、福岡(福岡市東公園広場、7千名)、新潟・信越(高田市大町国民学校講堂、7百名)、愛知(東本願寺別院、1万)、鳥取(米子市角盤町吉万国民学校、7百名)、兵庫(2万)、三重(千名)、岐阜(全市公会堂)、山口(山口市湯田公園)など各地で記念大会が開催された(※参加規模は報道によって若干異なり、機関紙の記述を優先した)。また朝連中総は府中刑務所で三・一記念日を迎える在日朝鮮人230名のために三・一革命記念式を開催したという。

 記念大会は地域や報道によって名称が異なり、「三一運動二十八周年記念大会」、「三一運動記念人民大会」、「三一革命記念大会」などの名称で開催されていたことが確認できる。


会場入口 


 1947年の記念闘争において特筆すべき点は、三・一運動と十月抗争との「相似性」が強調され、記念大会にて日本と南朝鮮のそれぞれで起きている弾圧事件について、米軍に対して共に「嘆願」、「陳情」が行われたことである。朝連中総は記念日を迎えるにあたって闘争方針として、米軍に対して①南朝鮮ゼネスト及び十二月事件逮捕者釈放要求嘆願書の提出、②臨時政府樹立促成を要求することを掲げていた。

 こうした方針の下、記念日当日には各地で緊急動議にて、十二月事件及び十月抗争逮捕者のためにGHQに対して「嘆願」・「陳情」を提出することを決定し、臨時政府樹立促成を求めた。実際に、京都では十二月事件逮捕者本国送還反対、本国臨時政府樹立促成、南朝鮮人民抗争指導者釈放の嘆願書を提出すること、千葉では十二月事件逮捕者強制送還反対、南朝鮮人民抗争逮捕者釈放の陳情書を提出すること、三多摩では十二月事件逮捕者の無罪釈放嘆願書を提出すること、愛知では十二月事件逮捕者の強制送還に反対する陳情書を提出することなどが緊急動議にて決定されたことが確認できる。

 朝連はモスクワ協定に基づいた米ソ共同委員会の成功、臨時政府樹立促成のため活動のなか、弾圧事件に対して「嘆願」、「陳情」という形で米軍と交渉しなければならなかったのである。

 また「陳情」、「嘆願」を行うのみならず、逮捕者を直接的に支援するための救援金を記念大会にて集めた地域も存在した。たとえば長野の記念大会では、緊急動議にてGHQに対する逮捕者釈放の陳情書提出、及び逮捕者救援金の募集が可決され、その場で344235銭が集められた。三・一記念大会が十二月事件の犠牲者救援運動と結びつけられていたことがわかる。

 すでに見てきたとおり朝連はこの日、徹底した警戒と監視のなかで記念大会と示威行進を行わければならなかった。たとえば大阪では、会場や示威行進のルートに約560名の警官が動員されたという。また東京の示威行進にて、当日使用されたと思われる行進の経路が書かれた資料にも、厳粛に行進するよう強調されていたことが確認できる。


警視庁前  

―三・一運動の失敗原因、その歴史的教訓

 朝連中総は三・一運動28周年記念日に先立って「在日六十万同胞に激す」という檄文を発表し、三・一運動に関する見解を明らかにした。この檄文は、三・一運動の失敗原因と教訓について、朝鮮共産党が解放後初めて迎える三・一記念日に際して機関紙『解放日報』にて発表した「三一記念日に同胞に告す」(1946.3.1)という文と基本的に全く同じ内容になっている。朝連中総は公式見解として、三・一運動の失敗原因、その歴史的教訓に関する認識について朝鮮共産党の上記資料を参照したようだ。

 朝連中総はこの檄文を通じて、三・一運動の失敗原因、その教訓について、朝鮮共産党(南朝鮮労働党)と同様に次のような認識を明らかにした。まず、三・一運動が失敗した原因について、客観的理由として、①日帝の第一次世界大戦後の国際的地位の上昇、②国際勢力の相対的脆弱性と参戦代償としての日帝の朝鮮支配の支持、③ソ連・中国が朝鮮を援助しうる国際的地位におかれていなかったこと、④以上の理由よりベルサイユ講和会議にて列強が日本の主張をそのまま受け入れたことを挙げた。次に主観的理由として、①労働者階級の未成熟と地主・資本家階級の観念的・妥協的態度、②「革命的中心指導体」の不在によって闘争を目的意識的・組織的に指導しえなかったこと、③民族解放闘争と土地問題の結合の不在、④「平和的方法」を掲げ労働者・農民の戦闘力を妨害した「指導部」の武力戦術の放棄を挙げた。

 そして三・一運動の教訓として、①民族解放運動を指導する「革命的中心指導体」の必要性、②資本家・地主の指導は信じられず朝鮮の完全独立は「戦闘的な革命階級」の力によってのみ遂行されること、③外勢依存の考えを捨て組織的な自力で独立を達成しなければならないこと、④農民解放のための土地問題を解決しなければ農民を動員しえないこと、⑤戦闘的革命理論の必要性、⑥いかなる階級が民族解放を導きうるかがはっきりしたことを挙げた。これは一部項目が省略され、字句が修正されている箇所はあるものの、朝鮮共産党の上記資料を参考にしたものと思われる。

 

―三・一運動を継承、発展させなければならない「冷厳な現実」

 この檄文の異なる点は、前文にて「在留同胞諸君!」という呼びかけが加えられ、解放後二度目の三・一記念日を迎えるなかで三・一運動当時の犠牲者のみならず「解放後わが祖国の人民による人民のための民主主義国家建設を目標に闘い、日帝の残滓勢力と一部反動分子の毒手に倒れた同志及び獄中に闘う闘士」に対する追慕と感謝が挿入された点である。

 また、この檄文は三・一運動の失敗原因、教訓を明らかにするのみならず、「ここから得た教訓を実践において活かしつつ一九四五年八月十五日まで最も革命的に闘争」した「民主勢力」と対立する「勢力」に対する批判を行った。檄文は、①親日派・日帝残滓勢力の存在、②その勢力が解放後の正当な路線を妨害していること、③民主化が進む北朝鮮と対照的に南朝鮮では封建勢力と日帝残滓勢力の蠢動が社会混乱の根源となっていること、④その勢力がモスクワ三相会議決定に基づく朝鮮民主臨時政府樹立を破綻させようとしていること、⑤日本においても祖国事情が反映して、運動が非常に困難になっていることを挙げ、三・一運動の伝統を発展的に展開して民主課業を成功的に遂行しうる体制を整備することを呼びかけた。

 解放直後の三・一記念日とは異なり、二度目の三・一記念日には「解放」後の三・一運動の継承、発展を強調しなければならない現実が存在していたのである。朝連は再び、記念日当日に「三・一革命記念日を迎えて在日同胞に檄する」という檄文を発表し、次のように訴えた。

 

われわれが解放されて初めて迎えた昨年三・一記念日はただ解放されたという喜びに溢れ『祝典』を挙行しただけだった 。しかしその後一年間、われわれは二十八年前のこの日から始まった民族解放のための闘争は決して終わっていないということを知った。のみならず人民政府が樹立し、完全自主独立を戦取するときまで継続しなければならないということを冷厳な現実のなかで知った。在留同胞諸君!二十八年前の今日は日本帝国主義者たちがわが革命闘士たちを『不逞鮮人』として、投獄、拷問、虐殺によって弾圧した。今、南鮮〔ママ〕では塗炭に陥った人民大衆が『生きるために米をくれ』、『政権を人民大衆に渡せ』というスローガンを高く掲げ、血の闘いを続けている。

 

 解放後初めての三・一記念日は「解放の朝鮮を謳歌」し、「感激に溢れ、涙を流しながら」迎えられた。しかし、その後の1年間の「冷厳な現実」のなか、在日朝鮮人は「二十八年前のこの日から始まった民族解放のための闘争」を継続しなければならなかったのである。この時期に至るとたびたび朝鮮民族の「解放」が問い直され、真の「解放」を目指すべきであることが強調されるようになった。


三・一檄文 

 朝鮮民族の「解放」、「完全独立」が果たされないなか、このように1947年には三・一運動の経験を継承し、その歴史的教訓を活かすことがそれまで以上に強調されたのである。たとえば尹槿・朝連中総委員長は「解放後一年が経っても完全独立が果たされない現段階において三一記念日を迎えていることは莫大な意義がある」として「われわれは三一運動の歴史的教訓を誠実に活かさなければならない」と訴え、民戦の路線に結集することを呼びかけた。

 

―三・一運動と十月抗争の「史的相似性」

 この時期の朝連の三・一運動に関する認識として重要な点は、三・一運動と十月抗争の「相似性」を強調したことである。たとえば金萬有氏は朝鮮人生活権擁護委員会機関紙にて、「一九一九年と一九四六年とは、時間的にも、独立欲求の実質的内容においても、その力量においても、その差は発展的でなければならない」として「冷厳な現実は、われわれに、三・一事件と九、十月事件との相似性に対する正しい認識と批判を痛切に要求している」と強調した。この後も十月抗争は三・一運動の継承、発展として位置づけられ、1948年に至ると三・一運動との「相似性」のみならず、二・七救国闘争への「継続」が強調されるようになる。

 さらにこの時期、十月抗争、十二月事件という米軍による弾圧事件のなかで、南朝鮮と日本を占領した米軍に対する抗議と怒りが鮮明化する。李鐘泰氏は朝鮮人生活権擁護委員会機関紙の「民族的行動への態勢 三・一革命の教訓を活かせ」という「主張」(1947227日付)にて、三・一記念闘争と十二月事件逮捕者の本国送還問題が有機的に結びついていることを強調した上で次のように訴えた。

 

本国事情は、われわれに何を教えているか。南北は対称的現像を示し、一方は建設的発展的方向に向かっているのに反し、他方は破壊的逆行的混乱に陥っている。昨秋の南鮮人民抗争事件の意義と三・一革命のそれとをその史的相似性において正しく理解するとき、一九一〇年八月二十九日、日本に合併された日から三・一革命までの十年間も鬱積された憤怒と丁度同じものを、解放されたという今日われわれは感覚せずにはいられない。一九一八年一月八日平和条約の基礎条件として提唱せるウィルソン氏の十四ヶ条の中の一項である民族自決論は戦勝者のある種の意図を隠ぺいする政策として利用するには大いに役立ったかも知らないけれども、被圧迫弱小民族にとって救いの神の如く思われたその一項も、彼等の真の解放を実現させることはできなかった。その喜びとその失望もまた、八・一五直後のそれと同じものを感覚せずにはいられない。われわれは解放されたと喜んだ。どこが解放されているのか。われわれは今失望を否定することは出来ない〔中略〕当然、無慈悲に粛清一掃されるべき日帝残滓共がそのまま温存ないし強化され、人民に対するあらゆる非行と、民族の破滅をもかえり見ない我利どん欲が公々然と容認され、介助されている事実は何を物語るものであろうか。〔中略〕思いを在留六十万同胞にめぐらすとき、われわれもまた、本国に劣らず解放されたと思い、喜び感激した。われわれは解放民族としてのきんじの護持に努めると共に、それ応分の当然の権利を主張して来た。然るに、われわれに与えられたものは、あの十二月事件ではなかったか。〔中略〕携帯を許された警官のピストルは、正当防衛の名において同胞の殺戮に使用されている。〔中略〕然も、この言語道断な道化が、公然と容認され介助されているではないか。どこに解放があるか

 

 ここで訴えられている三・一運動と1946年秋の人民抗争の「史的相似性」を理解するときに通ずる同じ「憤怒」とは何か。李鐘泰氏は1918年に米大統領ウィルソンが提唱した民族自決論の欺瞞性を批判し、それと同じ「喜び」と「失望」が解放後に再現されていることを指摘したのである。同じ生活権擁護委員会機関紙にて劉宗煥氏が十二月事件の直前に、「十四原則の中には「民族自決」というのは必ずしも一切の民族の自主独立を主張するものではなかったかもしれない」が、「日本帝国主義への反抗の念にもえている朝鮮の勤労人民によき刺激剤であり、高らかな警鐘であったことは間違いない」と主張していたこととは対照的である。この後、劉宗煥氏は十二月事件によって逮捕され、194738日には南朝鮮に強制送還されることになった。

 南朝鮮と日本における米軍の占領政策、十月抗争と十二月事件という弾圧事件に対する怒りが高まるなか、三・一運動と1946年の人民抗争を重ね合わせ、米大統領ウィルソンの民族自決論の欺瞞性と現在とを対比することでアメリカに対する「失望」が明言されたのである。すでに朝連第三回全国大会(194610月)の報告では、在日朝鮮人が帰国を躊躇するようになった原因として、「南朝鮮米軍政庁が日帝統治時代の親日派官吏をそのまま、または一層雇用し、法律と機構がそのまま継承され」たことが指摘されていた。こうしたなか南朝鮮では九月ゼネスト・十月抗争が起きた。かかる状況下で南朝鮮における日帝残滓の「温存」・「強化」、そして日本における取締り強化、弾圧の「容認」・「介助」に対する怒りの声が挙がっていたのである。朝連は米軍占領下で南朝鮮民衆の「憤怒」と「失望」を共有し、米軍に対する怒りを鮮明化させていったのである。

 朝連は、解放後二度目に迎えた三・一記念に際して、「冷厳な現実」のなか、米軍が占領した旧宗主国における制約の下、十月抗争・十二月事件の犠牲者救援運動と三・一記念闘争を結びつけ、厳しい警戒のなか活動を繰り広げたのであった。(誠) (三)に続く


万歳 

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朝鮮半島情勢の展望〜朝鮮・キューバ首脳会談と文在寅大統領の欧州歴訪から〜

 現在、朝鮮半島では38度線周囲の非武装地帯の地雷撤去、韓米合同軍事演習の延期・縮小や北南鉄道連結に関しての制裁除外など着々と北南首脳会談を契機に加速度的に平和構築が行われている。その最中、キューバ首脳のミゲル・ディアスカネル氏が朝鮮民主主義人民共和国を訪朝した。また12月1日付朝鮮中央通信報道によれば、金永南委員長がキューバを訪問し第一副議長と談話を行なっている。
 私が留学同で活動を始めてから、キューバの首脳が朝鮮を訪れたことは初めてであった。キューバに一度は訪れたいと思っている私からすると興奮した。私が訪朝した時に、金日成主席とフィデル・カストロ氏が握手した写真を見たことがあるだけで、朝鮮とキューバの関係をいつか知る機会を持ちたいと思っていた。
 蛇足だが、日本の学校で育った私からすれば「社会主義の第一人者」はキューバであり朝鮮ではなかった。しかし朝鮮は今年建国70周年を迎え、ソ連よりも長く存在している社会主義国家となり、地球上で最も長く存在している社会主義国家だ。社会主義経済体制はソ連が崩壊した後、西欧資本主義社会の中で一様に「間違っている」と「証明された」はずだった。私が聞いてきた話とは違う。私の通った小中高の歴史の先生は言っていた。
 「社会主義国家はなぜ続かないか分かりますか?なぜ資本主義国家が残っているか知っていますか?人間というのは怠け者であるし、全ての人間が平等な社会になると、働かなくなる人が出てくるから、社会主義は成り立たなくなるのです」と。私が聞いてきた話と違う。社会主義国家は2018年12月現在も存在しているし、そこで生活している人間がいるのだ。私は三度の訪朝経験で朝鮮の社会主義国家建設も目の当たりにしてきたし、今回のキューバのディアスカネル議長が朝鮮を訪朝したことが社会主義国家の存在を世界に改めて知らしめる出来事だと私は思った。私たちが想像するよりもずっと、朝鮮とキューバの社会主義国家連帯は強固で緊密である。だからこそ、もっと関心を持つべきであるし日本のマスコミも報道すべきであると私は思う。
 
 今回の情勢ブログでは①首脳会談を行ったことがあまり大きく報道されていないこと②キューバと米国の国交正常化のプロセスを省みて、朝鮮と米国の国交正常化のプロセスとの共通点を見出し、これからの朝鮮半島情勢を見る視点を養うことの2点に重点を置いて書きたいと思う。

 11/4~6でキューバのディアスカネル議長が朝鮮に訪れ首脳会談を行った(参考:朝鮮新報「〈金正恩委員長の活動・2018年11月〉友好国との伝統的信頼を誇示」)。キューバ共和国は1959年にフィデル・カストロ氏率いる革命軍がバティスタ軍事政権を打倒し、社会主義国家としての歩みを始めた。朝鮮との国交は1960年から続いており、キューバにとっては最も長く国交を保ってきた国の一つである。朝鮮とキューバの共通点は①社会主義国家、②反米反帝政権であるということである。キューバは16世紀から約400年間スペインに植民地支配され、その後は米国に半世紀近く内政干渉を許し、事実上支配された歴史を持つ。砂糖製造のモノカルチャー経済(国内の生産や輸出が数品目に大きく依存している経済のこと)により、米国に経済的に大きく依存せざるをえず米国と結びついた政治家の汚職や米国の多国籍企業によるキューバ国民の搾取とバティスタ政権の資本の独占により、キューバ人民は半世紀以上苦しめられていた。植民地支配された共通の経験を持つ第三世界の社会主義国家として朝鮮とキューバは非常に友好的且つ強力な関係を持つ。ソ連が崩壊し、東欧社会主義が崩壊していく時も米国からの経済制裁で攻撃されている時も常に「自国の自主」のために闘い続けた同志国家だ。資本主義国家からすれば、社会主義国家の存在・連帯は目障りでしょうがないはずである。だからこそ、世の若い世代に社会主義国家の存在とその理論と思想・政治機構を知ってほしいものである。

 文在寅大統領が10月13〜21日でヨーロッパを歴訪していた。その中でローマ法王フランシスコ氏から訪朝受諾を引き出した(参考:ハンギョレ新聞「文大統領の欧州歴訪の最大成果は「法王の訪朝受諾」」)。これが今後の朝鮮半島情勢にどのように関係してくるのかを絡めてまとめたいと思う。
 キューバは1961年の断交以来、2015年に米国との国交を正常化した。およそ54年ぶりに敵対関係にあり続けた米国と国交正常化を行った。「米国の裏庭」とまで呼ばれたほど地理的に密接した状況の中、経済制裁に耐え抜きその中で発展を行ってきた社会主義国家建設が米国の交渉の余地を引き出した。社会主義国家の勝利を世界が知った。(しかし、現在のトランプ政権ではキューバに対する政策を解消するとし、制裁を復活させた。今回の記事ではこれ以上言及しないこととする。)「キューバの雪解け」と呼ばれる一連の流れはローマ法王フランシスコ氏の仲介が功を奏し、両国間の国交正常化の条件を整える呼び水となった。
 ローマ法王フランシスコ氏は「招待状来れば、必ず返答する」と言っている(参考:朝日新聞「北朝鮮訪問「招待状来れば、必ず返答する」 ローマ法王」)。キューバ・米国間の時と同様、ローマ法王の仲介が朝鮮・米国間の国交回復の契機を整える呼び水となりうることは充分に考えられる。(参考:ハンギョレ新聞「米-キューバの和解に寄与したローマ法王…訪朝した場合は北朝鮮開放の起爆剤に」)現在の朝鮮に対する米国の政策や北南関係を考慮すると、ローマ法王の訪朝が朝鮮と米国の国交正常化の時期を加速させ、ひいては北南関係をも加速させ朝鮮半島統一の条件を整える呼び水となることを期待せずにはいられない。
 今回の記事はあくまで社会主義国家キューバと資本主義国家米国間の国交正常化のプロセスとその共通点から朝鮮と米国の国交正常化の可能性を推し量るために書いたものであり、「ローマ法王」という聖職者の政治的力量を証明するものではないことを了承していただきたい。これまでには朝鮮民主主義人民共和国の「朝鮮戦争終戦」と「朝鮮半島統一」のための絶え間ない努力による環境・条件の醸成と大韓民国の進歩的政権がそれに共感し、行ってきた政策・外交的努力を基礎にしたものであることを今一度ここで確認して、今回のブログを終わりたい。(秀)

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「和解・癒し財団」の解散は必然の流れ-日本政府は誠実な謝罪と賠償を

 去る11月21日に「和解・癒し財団」の解散に向けた法的手続きが開始されたという発表は日本国内においてセンセーショナルに報道された。和解・癒し財団とは、2015年末に政府間で「慰安婦」問題を「最終的かつ不可逆的に解決する」ことを宣言した「韓日合意」に基づき、日本政府が10億円を拠出して設立された財団である。財団を管轄する女性家族部は、日本政府が拠出した10億円の返還を申し出ている。日本の各所報道では「韓国」が「再び」国家間の約束を無視したという言説が飛び交っているが、合意の破綻を招いたのは、果たしてどちらだろうか。

 「韓日合意」は、その締結過程から看過してはならない問題が山積していた。2015年年末に突然発表された合意に驚かれた方は多いと思うが、一番寝耳に水だったのは他でもない日本軍「慰安婦」制度の被害者たちだろう。というのも、「韓日合意」は当事者の声が反映されることなく政府間で勝手に結ばれたものだからである。締結の裏で政府間の冷え込んだ関係が、自国の東アジア(軍事)戦略にとって不利になると見た米国による圧力が働いていたことも確認されている。日本の戦争のために「慰安婦」にされた朝鮮の女性たちの尊厳を、「韓日米」の三角軍事同盟強化のために再び踏みにじろうとしたのだ。

 今回のテーマの前提となる「韓日合意」の問題点をあげればそれだけで記事を一つ書けてしまうので割愛するが、その「そもそも」が破綻している内容の土俵に立って議論したとしても、この間の日本側の対応には怒りを通り越して呆れを覚える。ここで日本側の対応をふたつ紹介しようと思う。

1.安倍首相の謝罪拒否

 「韓日合意」に向けた会談後の記者会見で岸田外相は冒頭以下のような発言をした。

「慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。」
【引用】日韓外相会談

 安倍首相が「心からおわびと反省の気持ちを表明する」という前提のもと展開された合意文は当初高い評価を受けた。しかし実情はどうだっただろうか。2016年10月、安倍首相は和解・癒し財団が求めた首相名義のお詫び文の送付を、「慰安婦」問題は「不可逆的に解決したから」という理由で拒否した。「解決したし、蒸し返す必要はないからもう謝りません」という姿勢は加害者側としてどうなのだろうか?そもそも「韓日合意」に合意文書は存在せず、岸田外相と尹炳世外交部長官の記者会見での口頭発表をもって「韓日合意」とされている。岸田外相を通してではなく、安倍首相から直接、手紙という形に残る謝罪を受けたいという財団側の要求は極めて正当であると言える。

2.大阪市のサンフランシスコとの姉妹都市協定破棄

 今年10月、吉村大阪市長は「慰安婦像」の撤去に応じないことを理由にサンフランシスコとの姉妹都市関係解消を一方的に通知した。ここで吉村市長がロンドン・ブリード現サンフランシスコ市長あてに送った書簡を引用する。

「本件については、私もしくは前大阪市長から、サンフランシスコ市議会ないしはエドウィン・M・リー元サンフランシスコ市長に対し、2015年8月以降、計8回にわたり、姉妹都市大阪市として、像と碑の設置がもたらす影響に懸念を表明するほか、思慮深い対応、慰安婦像及び碑の設置や公有地への移管をしないことを要請してまいりました。こうした一連の働きかけにもかかわらず、サンフランシスコ市が自らの意思で慰安婦像及び碑の受け入られたことは両市の姉妹都市関係にネガティブな影響を及ぼすものにほかなりません。」
【引用】貴市との姉妹都市関係における貴殿のお考えについて

 姉妹都市とは、都市同士の親善と文化交流を目的とした提携を指す。国家同士で解決するべき外交問題を理由に、とある都市が異国の都市との友好関係を一方的に絶つといった行為は姉妹都市の概念自体に反するものである。また、いち市長が外交問題に首を突っ込み、問題化し、騒ぎ立てることが「慰安婦」問題の解決の一助になるとは考えがたい。国家間にまたがるあらゆる政治や外交問題を超えて友好関係を築いていこうとするのが文化交流のあるべき姿ではないか。
 このように地方自治体が堅持するべき一線を越え、国家と一体となって政策を推し進めようとする流れは「慰安婦」問題に限らず、高校「無償化」制度からの朝鮮学校生徒除外問題や、近年顕著な地方自治体の朝鮮学校への補助金削減などにも見られる。常態化したファッショ体制は議論の軸を右へ右へと追いやり、このおかしな状況にたいして、「おかしいのでは」と訴えられる感性すら今の社会には失われつつある。

 前述したように、「韓日合意」は日本政府が過去に朝鮮半島南部に住む女性たちを「慰安婦」として利用したことに対する反省とおわびを前提としている。内容そのものが見直されなければならない問題だらけの合意ではあるが、その枠内であったとしても日本が誠実に対応していたならば被害者たちの無念も幾ばくか救われたかもしれない。両政府は財団の解散が報じられた後も「韓日合意」自体の撤回には言及していない。しかし、朝鮮半島南部に留まらない被害者たちの尊厳と名誉を回復するためには、朴槿恵政権の残滓である「韓日合意」を白紙に戻し、当事者を中心とした議論の土台のうえで日本政府が誠実に応答することが求められる。(智)

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三・一運動100周年と在日朝鮮人―朝連の三・一記念闘争と三・一認識(一)

 来年201931日は三・一運動100周年にあたる。総連は第24回全体大会(52627日)にて、3.1人民蜂起100周年と2020年を見越して全ての在日同胞が団体所属と国籍の差異を問わず自主統一に進むように活動を行う方針を決定した。また、919日に北南首脳によって採択された「9月平壌共同宣言」では、「3.1運動」100周年を北南が共同で記念することが合意された。

 こうしたなか三・一運動100周年が問いかけるものはなにか、朝鮮民族が三・一運動をどのように位置づけ、その経験を継承していくべきかを問うことは重要である。こうした問いを歴史的に考察するためには、植民地支配からの解放後に朝鮮人たちが三・一運動をいかに捉え、継承しようとしたかを明らかにする作業は欠かせない。

 とりわけ解放直後、朝鮮を支配していた旧宗主国において在日朝鮮人が三・一運動をめぐって、何を訴え、運動を繰り広げてきたかを明らかにすることは重要だと思われる。南朝鮮における人民委員会弾圧と報道規制による資料の制約をふまえると、朝鮮現代史における三・一運動をめぐる論理の変遷と展開過程を検討する上でも、その意義は少なくないといえる。

 しかし解放直後に在日朝鮮人が三・一運動をどのように位置づけ、その経験を継承しようとしたかについてこれまで十分に明らかにされてこなかった。1948年頃までの時期について、民族団体の記念日の動向が概括的に論じられてきたに過ぎず、在日朝鮮人運動のなかで三・一記念日と記念闘争がいかなる意味を持ったかについて十分に論じられてこなかった。

 したがって本稿では、解放直後に在日朝鮮人を最も多く網羅した在日本朝鮮人連盟(以下、朝連)の活動に焦点を当て、解放直後から1950年までの三・一記念闘争と三・一認識について具体的に検討したい。朝連の三・一認識、三・一記念闘争は日帝残滓の精算、九月ゼネスト・十月人民抗争と犠牲者救援運動、米ソ両軍同時撤退促成/人民委員会への政権委譲要求、二・七救国闘争への呼応、反米・反帝闘争などの在日朝鮮人運動の一環として展開された。すなわち、建国課題、朝鮮本国の状況と分かちがたく結びついていた。以下では、朝連の三・一記念闘争と三・一認識を朝連の運動路線、政府樹立運動と朝鮮本国の状況との関連から見ていくことにする。

 なお本稿は、筆者個人の見解であり、文責はすべて筆者にのみあることを断っておきたい。

 

1.1946年の三・一記念闘争

 

―在日本朝鮮人連盟の結成と「新朝鮮建設」

 

 1945815日の「解放」直後、朝鮮の各地で建国準備委員会が結成され、96日に開催された全国人民代表大会にて朝鮮人民共和国が樹立宣言された。この後各地に地方組織として人民委員会が組織され、1946215日には朝鮮人民共和国が再編され、朝鮮人民党、朝鮮共産党をはじめとする諸団体によって民主主義民族戦線(以下、民戦)が結成された。民戦は12月末に発表されたモスクワ三相会議決定に基づいた臨時政府樹立のために解放運動の力量が結集した統一戦線体だった。

 一方、日本では様々な民族団体が結成され、9月以降に各地で朝連の地方組織が結成されるなか、101516日に「在日本朝鮮人連盟創立全国大会」が開催された。朝連は結成後、在日朝鮮人の帰国対策、生命財産保護、生活権擁護、民族教育などの様々な活動を繰り広げ、綱領にて「新朝鮮建設に献身的努力を期す」ことを掲げた。創立全国大会への参加者に配られた『民衆新聞』でも、「新朝鮮建設の前途は大きいが困難だ」として、朝連傘下の在日朝鮮人が「新朝鮮建設に対して献身的に努力できる朝鮮人になるよう導くこと」が任務であると呼びかけられた。

 朝連は結成後、朝鮮本国に特派員を派遣し、朝鮮本国の情勢に呼応し、朝鮮人民共和国を支持・歓迎し、モスクワ三相会議決定・米ソ共同委員会を支持し、民主主義民族戦線の一翼として活動を繰り広げた。

 朝連が朝鮮人民共和国を支持・歓迎する動きは194512月頃から確かめられる。128日に朝連神奈川が開催した朝鮮独立促成人民大会にて、金天海氏は「朝鮮独立万歳、朝鮮人民共和国万歳」と主唱した。また、1226日には朝連群馬が開催した朝鮮独立促成祝賀大会にて「朝鮮人民共和国万歳」が参加者たちによって三唱され、大阪地方人民大会では緊急動議で「人民共和国支持」が可決された。

 さらに、モスクワ三相会議決定発表後、臨時民主政府の樹立を実現させるものとしてその支持が訴えられることとなった。たとえば、朝鮮民衆新聞社は194615日に支局長分局長熱誠者会議を開催し、「ソ米両国共同委員会に対して、朝鮮の進歩的民主主義建設において真の協力者となり援助者となる限りにおいてのみその政策を容認すると同時に、人民の総意を代表する自主的独立国家である人民共和国を絶対支持し、その正当な発展のために最善の努力を惜しまない」ことを決議した。

 そして朝連中央総本部は1946116日にモスクワ三相会議決定支持声明を発表した。また、131日〜21日に開催された第四回中央委員会にて声明を採択し、「在日本同胞は朝連の旗下に」、「三千万の総意で結合した朝鮮人民共和国万歳」、「進歩的民主主義民族統一戦線万歳」、「世界民主主義一員として国際平和の確立を期そう」と訴えた。

 この後朝連は、民戦を朝鮮人民共和国の発展によって成立したものと捉え、民戦への参加を決議した。たとえば、東京にて朝連世田ヶ谷青年部は民戦結成大会直前の214日に大会を開催し、朝鮮人民共和国の「絶対死守」などとともに、民戦への参加を決議した。さらに朝連は22728日に第二回臨時大会を開催し、基本的活動方針として、「民族統一を妨害する反逆的団体及び個人の徹底排撃」、「日本民主戦線との提携協力及び、日本軍国主義残滓一掃」、「本国情勢の迅速な報道普及」など18項目を決定し、基本路線・運動方針を確立した。こうしたなか、その翌日31日に各地で三・一記念大会を開催したのである。

 

―三・一記念大会

 

 朝連は第四回中央委員会(1946131日〜21日)にて三・一記念闘争の1ヶ月間の準備期間を設定し、三一革命記念人民大会、解放運動者追悼大会を準備していた。


三一革命記念人民大会 


 そして194631日、東京(日比谷公園大広場、数万名)、埼玉(大宮駅前広場、二千名)、群馬(宇都宮五本丸公園、千名)など日本の各地で三・一記念大会を開催した。解放直後である1946年の記念大会では、まず独立運動犠牲者に対する追悼式が行われたことが確認できる。記念大会では地域の事情にもよると思われるが、午前に独立運動犠牲者に対する追悼式が開かれた後、記念人民大会では記念講演、革新勢力の代表による祝辞などが行われ、その後示威行進を行っていたようである。


三一記念独立運動犠牲者追悼人民大会(東京日比谷公園音楽堂) 


 それでは記念大会当日の様相について、東京地域の大会を具体的に見てみたい。東京ではまず、革命運動犠牲者追悼式が金正洪・朝連中央総本部副委員長の開会宣言によって始められ、黙祷の後、合唱や「独立の朝」の演奏が行われ、各団体代表による追悼文朗読があった。その後の革命記念人民大会では、三・一運動の体験談と情勢に関する記念講演があった。

 その後参加者たちは「朝鮮完全独立万歳」、「朝鮮人民共和国万歳」、「民主主義民族戦線万歳」を三唱し、100台以上のトラックとバスに分乗し、一大示威行進に向かった。示威行進の行列は、皇居―警視庁―三宅坂―靖国神社―神田―日本橋―京橋―銀座―新橋―日比谷公園という順路を辿った。在日朝鮮人が発刊していた新聞である『朝鮮民衆新聞』は、皇居前で「朝鮮独立万歳」を叫び、警視庁前を通った参加者の様子を次のように伝えた。

 

記憶せよ!過去四十年間わが朝鮮を圧迫し、わが民族を搾取した張本人は誰であるか。この宮城の中に本拠をおく日本天皇だった。わが同胞の血を売り渡した者の本家本宅は今われわれの目の前にいる。三十六年前合併当時の怨痛な涙、二十八〔ママ〕年前のこの日の血の闘いの記録、二十四〔ママ〕年前関東大震災時の残悪な屠殺、このことをこの宮城のなかにいる人は知っているのか知らないのか、群衆の中では天皇制を打倒せよという雨雷のような声を挙げ、両拳を挙げ朝鮮の独立を知っているかと叫ぶ人もいた。〔中略〕わが解放戦士を拷問し、投獄し、悶殺した警官たちもこの革命的行列を言葉なく見ているだけである。群衆のなかには感激に溢れ、涙を流しながら、果然独立がよい、自由と解放の権利がある、以前であれば奴らがわが行列を弾圧しただろうと感嘆する者もいた

 

 このように示威行進に加わった在日朝鮮人は、植民地支配・天皇制に対する怒りと「解放」の歓喜を三・一記念の行進のなかで叫んだ。また、こうした三・一記念大会を機に、当局に対する要求を決定し、交渉を行った地域も確認できる。実際に栃木では記念大会での決定によって、朝連の活動や在日朝鮮人の生活のための要求を県に突きつけた。

 

―三・一運動と「新朝鮮」の建設、「朝鮮人民共和国」支持

 

 1946年の解放後初めて迎える三・一記念に際して、朝連は解放以前からの社会主義者たちの見解と同様に、三・一運動以後の民族ブルジョワジーの妥協性/親日派への転向と、労働者・農民の闘争性を挙げ、三・一運動の教訓として大衆を組織し、指導する「前衛」の必要性を強調したことが確認できる。たとえば曺喜俊・朝連東京本部委員長は「三・一運動の教訓」として、「労働者、農民大衆を強固に組織して、正当な路線に導く前衛が必要だ」と強調した。

 但し、この時期は解放直後の資料の制約のなかで三・一運動に関する認識、見解を定めていく過渡期にあったものと思われる。朝連文化部がこの時期に作成したものと思われる『朝鮮歴史教材草案(下巻)』における「独立運動小史」では、「全国的大衆運動として独立を要求する三・一運動」は「具体的な思想的指導理念が確立できず、したがって運動の組織的な展開をみることができ」なかったと記述されているが、農民・労働者の役割が特別に強調されているわけではなかった。こうした三・一に関する認識、見解が詳細に論じられるようになるのは1947年以降のことだと思われる。

 さらに朝連はこの三・一記念を機に「新朝鮮」の建設と、その方向性がどうあるべきかを強く訴えた。

 朝鮮人共産主義者であった金斗鎔氏が主筆を務めた『朝鮮民衆新聞』は、「三・一革命記念日を前に」という見出し記事にて、「日本が屈服するや、わが国の労働者と農民、インテリまたは良心的民族ブルジョワジーは固く団結し、即時人民共和国を創建し、「朝鮮は朝鮮人に」、「政権は人民に」という政治的路線を掲げている」として、「この記念日を全民族的に意義深く記念しなければならないのは勿論だ、それと同時に進歩的民主主義朝鮮を建設するために民族反逆者、親日派、ファッショ分子を除外した民族統一戦線を結成して、その土台の上に民主政府を樹立」することを呼びかけた。

 また31日の三・一革命記念特集号でも、「新しい時代には新しい指導原理と理性が要求される、われわれは意義深い三一革命記念日を迎えて、新朝鮮をどのような方法で建設すべきかという問題をよく理解しなければならない」と強調した。

 このように第一次米ソ共同委員会(320日〜56日)の開催を目前にしたこの時期に、三・一記念日に際して、建設されるべき政府の形態として朝鮮人民共和国を支持し、「民族反逆者、親日派、ファッショ分子を除外した民族統一戦線」の結成の下に、「進歩的民主主義朝鮮」を建設することが訴えられたのである。金天海氏も「朝鮮人民はこの日を全国的に記念することは勿論であるが、三千万同胞がお互いに手を取って、新朝鮮を建設するよう努力しなければならない」として、「国内国外の民主主義的勢力が絶対に人民共和国を支持し、人民政府が内外の政策を適切に実施し、朝鮮が再び外来勢力の侵略を受けないようその基礎を固くしなければならない」と訴えた。

 上述した『朝鮮歴史教材草案(下巻)』の末尾では、三・一運動をはじめとする「独立運動小史」のまとめとして、八・一五以後の朝鮮の情勢に言及し、朝鮮人民共和国を「人民の権利と義務の下にわが人民の手で建てた人民共和国」と表現し、「民主主義国家とは言うまでもなく人民の大多数の意思で進展する国家政治だ、だとすればいかなる権力や勢力が人民の手で建てた人民共和国を打倒することが世界史の正当な進路だろうか」として、人民共和国に対する弾圧、攻撃を批判した。

 朝連第三回全国大会(194610月)の報告では、朝鮮人民共和国・人民委員会が「名実共に人民のための人民による人民の政権であり、朝鮮民族憧憬の国号であり意欲の国体だった」として、アーノルド軍政長官声明(19451010日)をはじめとする米軍政の人民共和国否認と親日派の謀略が、「民主主義発展を抑圧し、反動勢力の台頭が激化している」と指摘されていた。こうしたことをふまえると、この時期の人民共和国を否定する「権力」に対する批判は重要な意味をもつといえる。朝連がこうした米軍に対する批判を顕在化させるのは1947年以降のことであり、それを明確化するのは米ソ共同委員会が決裂し、国連に朝鮮の独立問題が持ち込まれた後のことである。

 また上述した通り三・一記念大会においても、「朝鮮人民共和国万歳」が叫ばれ、埼玉では日本共産党・埼玉県地方委員より「朝鮮完全自主独立」と「人民共和政府樹立」を祝する祝辞が述べられた。

 朝連の活動家たちは、日帝残滓を精算し、「親日派」、「民族反逆者」を除外した労働者と農民を土台とした「新朝鮮」の建設を訴え、三・一記念を契機にそのための活動をより高揚させようとしたのである。

 実際に三・一記念日に際して尹槿・朝連中総委員長は、「今日朝鮮は解放されたが、新建設の課題はむしろ今後にある、それは全民族の大多数を占める勤労大衆の完全な解放のための「第二解放運動」を展開することにある」と述べた。

 また、曺喜俊・朝連東京本部委員長は、「日本帝国主義の残存勢力を清掃し、民族統一戦線を確立して、労働者、農民を土台とした新朝鮮を建設しなければならない今日、己未運動を回想するときに胸に溢れる感恨を禁ずることができない」と述べた。

 鄭淳悌・朝連埼玉本部委員長も三・一記念大会の式辞にて、「われわれは今日この殉国先輩に追悼の意を表さなければならない」として、「解放された朝鮮を一日も早く完全独立させることだけがその先輩に対する真の追悼であり報答だろう」と述べた。

 このように在日朝鮮人にとって、建設されるべき政府がどのようなものであるかが極めて重大な問題として訴えられていたことがわかる。大阪で在日朝鮮人が発刊していた新聞である『大衆新聞』が、第一次米ソ共委決裂直後に掲載した次の文からも、こうしたことは確かめられる。

 

人民諸君!わが祖国が暮らしの良い国、美しい国となるかならないかは国家としての第一歩にかかっている。臨時政府を作るにおいてわれわれの世論を力強く反映させなければならないだろう。これはわれわれの運命を決定する重大なことだと認識しなければならないだろう。自由と平和と土地と米のために。われわれは民主主義の旗の下に集まろう!

 

 解放後初めて迎えた1946年の三・一運動27周年にて朝連は、三・一運動への追悼、回想を通じて建国の課題、方向性がいかなるものであるべきかを訴え、在日朝鮮人が「第二解放運動」の展開、「進歩的民主主義朝鮮」の建設に進むことを強調したのである。

 

(誠) (二に続く)

 

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【活動報告】朝鮮民主主義人民共和国に関する公正な報道を求める要請(朝日新聞社)

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 さる9月28日、朝鮮民主主義人民共和国に関する公正な報道を求めるため、留学同東京、西東京、埼玉、神奈川の7名の代表が朝日新聞社へ要請に訪れました。正午、朝日新聞社に着くと、応接室へ案内され、そこで広報部長代理と広報部主査に要請の趣旨を伝え、要請文を手渡しました。
 9月に北南首脳会談が開かれたこの時期に『朝日新聞』は、「金氏、文氏を歓待 親密な南北演出 米国牽制する狙いか」(9月18日付)、「核施設申告なし、米は不信感」(9月20日付朝刊)、「もてなす北朝鮮 韓国抱き込む策略」(9月20日付夕刊)などの記事見出しにて、朝鮮民主主義人民共和国に関して恣意的かつ公平を欠く報道を繰り返していました。こうした報道は北南首脳の会談、民族の和解を「演出」、「策略」、「思惑」といった表現で、冷水をかけ、その意義を歪曲するものとなっていました。
 要請では、こうした一連の報道について、朝鮮民主主義人民共和国に対する否定的イメージを助長するだけでなく、北南首脳の会談、交流そのものを懐疑的にとらえ、平和体制構築に向けた努力を貶めるものだと指摘しました。さらに、そもそも「北朝鮮」という呼称は、国名として誤った表記であること、朝鮮民主主義人民共和国もこうした『朝日新聞』の「北朝鮮」呼称を批判していることを指摘しました。
 そして最後に、(一)朝鮮民主主義人民共和国に関する事実に基づいた公正な報道をすること、(二)朝鮮民主主義人民共和国に関する記事に対して、「北朝鮮」ではなく正式名称を使用することを求めました。さらにその場に参席した代表は、在日朝鮮人大学生である自身の立場から、日本の世論と新聞報道の問題を厳しく批判し、その改善を訴えました。
 その場で朝日新聞社からの回答はなく、要請内容を上部に伝え、後日書面で返答するとの確約を代表団はもらいました。
 後日届いた朝日新聞社広報部からの回答文書には、首脳会談に関する北南朝鮮の立場を両論併記しているから客観性はあること、国号に関してはあくまで「略称」として用いているという旨が書かれていました。これは、今回の要請に対して真正面からの回答を回避した、不誠実な回答だと言わざるを得ないものでした。

 今回の要請を通じて、日本のメディアや社会が持っている朝鮮民主主義人民共和国に関する歪んだ視線、嫌悪感や、無意識に「北朝鮮」という呼称を使う現状の問題が改めて浮き彫りになったのではないかと思います。
 今回の要請行動は小さな一歩に過ぎず、今後もメディアの報道に機敏に対応し、私たちの主張をより強く発信していきます。(留学同東京、西東京、埼玉、神奈川)

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朝米高位級会談延期、交渉停滞の要因は?

 11月6日の米国中間選挙が終わってすぐ、朝米高位級会談の延期が急きょ決まった。

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‪米朝高官協議を延期=米国務省:時事ドットコム‬‬

 本来であれば、8日~9日にかけて朝鮮労働党 金英哲副委員長がニューヨークを訪れマイク・ポンペオ国務長官と会談をする予定だった。10月7日に、ポンペオ長官が朝鮮を訪問し金正恩委員長との会談を受け、第2次朝米首脳会談に向け拍車がかかるだろうと、今回の会談に内外の注目が集まっていた。その矢先の急なキャンセル、報道によれば朝鮮側が延期を通告してきたようだ。

 では、なぜ今回の会談を延期したのであろうか?その原因を米国側の動きから探ってみるとする。第一に、トランプ政権内部の強硬派が依然として朝鮮に対する圧力を求めていることにある。ポンペオ国務長官は9日、米中外交・安全保障対話会議後の記者会見で、「国連安保理の制裁決議の履行に対する中国の協力は、この重要な非核化問題の意味ある突破口を見出すのに貢献するだろう」とし、中国が対朝鮮制裁の枠組みを離脱してはならないと強調した。平壌訪問からわずか1ヶ月で、この豹変ぶりである。
 アジア歴訪に出たマイク・ペンス米副大統領も、「明確に言うが、米国は朝鮮に対して前例のない外交的・経済的圧迫を引き続き加えていく」とし、「朝鮮半島の完全な非核化が達成されるまで、制裁を含む圧迫キャンペーンを維持することを、すべてのインド・太平洋国家に求める」と明らかにした。米国の圧力に屈して、朝鮮が対話のテーブルに着いたという妄想を相変わらず捨てきれていない様子だ。

[ニュース分析]米国、連日「対朝鮮制裁」強調…「トランプ流戦略的忍耐」へと進むか

 しかし、制裁強化を主張する一方で、米国内部でも経済制裁が人道支援にまで影響を及ぼしてはならないとの声が高まっているのも現実だ。対話をしようと言っている相手が、一方では制裁強化を進めるこの現実を見ても、果たして米国に問題解決の本気度があるのか疑いをぬぐえない。

「対北朝鮮人道支援を遮断してはならない」…米国で高まる懸念

 第二に、米国報道機関における「朝鮮バッシング」である。最近、米国の日刊紙「ニューヨークタイムズ」が朝鮮に隠されたミサイル基地が明るみに出て、「朝鮮が米国を欺いている」との奇怪な報道を配信した。

「ミサイル脅威」捏造するNYT

図2

 「ニューヨークタイムズ」の報道が出るやいなや、民主党から「トランプ大統領が朝鮮に踊らされている」「追加の首脳会談の開催は不適切である」ともう批判を展開し始めた。
 ところが、内容をよく見ると米国のシンクタンク「戦略国際問題研究所」が発表した報告書の衛星写真はどれも、今年3月29日に撮影されたもので、いわゆるミサイル基地というのは既に公になって久しい、という事が判明したのだ。つまり「ニューヨークタイムズ」は、すでに公表された事実をあたかも昨日今日起きた「事件」のように喧伝し、朝鮮の非核化に向けた努力に冷や水を浴びせ、敵対心をあおる偏向報道を垂れ流していたというわけだ。
 これに関しては、さすがのトランプ大統領も「朝鮮のミサイル基地開発に関するニューヨークタイムズの話は不正確だ。言及されている施設について我々は十分に把握している。何も新しいことはなく、通常の範囲を超えていない。フェイクニュース。何か悪いことが起きれば私が最初に知らせることになる!」と、13日に自らのTwitterで一蹴している。

 以上のような米国内における事情を、朝鮮はすべて見透かしており、このような複雑な状況ではまともな対話をするのは困難との判断を下したのであろう。

 実際のところ、朝鮮でも米国の言行不一致、両面主義的な発言を批判する論評が出ている。

 「前では、我々と親しくなろうと手を差し伸べ、裏ではお門違いな声を出す米国は、外交慣例はもちろん常識の軌道からあまりにも逸脱している。」(10/16、朝鮮中央通信)
 「問題は、米行政府が自国内強硬派の声を恐れながらも、自らの信義なき行動と内外で異なる態度が、協商当事者の神経を咎めている事実に、あまりにも鈍感なのである。」(10/20、朝鮮中央通信)

 これらを通して、一貫しているのは米国における朝鮮への「不信感」が足かせになっているのではないだろうか。交渉相手に対する正しい知識と情報、真摯に臨む姿勢、真正性のある発言と行動、最低限の外交儀礼が伴わないと、対話と協商は誤った道へ進む恐れがある。ましてや、朝鮮と米国はいまだ戦争状態が続いており、長年の敵対関係にある中でまずはお互いの信頼関係を築くのが先決ではないか。

 幸いにも「双方の都合が合う時期に改めて行う」「朝鮮との対話は続いている」(11/7米国務省ナウアート報道官声明)ため、朝米交渉が完全に破たんしたわけではない。第2次朝米首脳会談は、2019年に入って開かれる予定だ。

볼튼"트럼프, 김정은위원장과 2차 정상회담 준비돼"(ボルトン"トランプ、金正恩委員長と第二回首脳会談の準備ができた")

 紆余曲折を経ながら、これまで想像もできなかった事変が次々と起こった2018年なので、年を越すまで何が起きるか全くわからない。今年中に金正恩委員長のソウル訪問、そして平和協定の締結を目標に掲げているだけに、情勢の急進展だって十分にあり得る。

 「朝米首脳会談共同声明」の序文では、次のように記されている。
 「金正恩委員長とトランプ大統領は、新しい朝米関係樹立が朝鮮半島と世界の平和と繁栄に寄与することを確信し、相互の信頼構築が朝鮮半島の非核化を推し進めるということを認める」

図3

 トランプ大統領自身が署名し、自らの肝いりで新しい朝米関係の樹立と朝鮮半島の非核化を推し進めるのであれば、共同声明の精神に立ち返って相互の信頼を構築できるような措置を速やかに取るべきである。対話と圧力は、決して両立しない。(泰)

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徴用工問題の論点を整理する~「個人請求権」と「解決済」論~

  10月30日、大韓民国大法院(最高裁)において一つの判決が下された。

 この裁判は朝鮮半島が日本の植民地時代に日本の企業である新日鉄住金(旧新日本製鉄)で強制労働を強いられ、賃金も受け取れなかったとして、朝鮮人の元徴用工4名が、1997年に日本で損害賠償を求める訴訟を起こしたが敗訴し、同問題を2005年と2012年に韓国の裁判所に提訴、高等法院(高裁)が差し戻し控訴審で個人の請求権を認める判決を下していた。

 新日鉄住金は判決を不服として上訴したが、韓国大法院(最高裁)は、個人の請求権を認めて、新日鉄住金に賠償を命じる判決が確定した。

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 韓国最高裁 新日鉄に4千万円賠償命じる=徴用工訴訟で原告の勝訴確定 http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/10/30/0200000000AJP20181030002400882.HTML

  「一人で来たことに涙が…」77年ぶりに恨を晴らした“徴用被害者”イ・チュンシク氏
 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31981.html

  今回の大法院判決で認められたことは、大きく「日本政府の朝鮮半島での不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に関わった日本企業の、反人道的不法行為を前提とする慰謝料の請求権」である。

 本稿では、今回の裁判を中心にしながら、日韓請求権協定における「個人請求権」と「解決済み」論について整理していきたい。

1.日本社会における反応

 今回の判決に対し日本政府の反応は、1965年の日韓請求権協定によって個人請求権の問題は完全に処理されていると主張し、日本の主要なメディアもこれに同調している。

 【朝日】徴用工裁判 蓄積を無にせぬ対応を(https://www.asahi.com/articles/DA3S13747548.html

 【読売】「徴用工」判決 日韓協定に反する賠償命令だ(https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20181030-OYT1T50161.html

 【毎日】韓国最高裁の徴用工判決 条約の一方的な解釈変更(http://mainichi.jp/articles/20181031/ddm/005/070/128000c

 【日経】日韓関係の根幹を揺るがす元徴用工判決(https://www.nikkei.com/article/DGXKZO37149270Q8A031C1EA1000/

 【産経】「徴用工」賠償命令 抗議だけでは済まされぬ(https://www.sankei.com/column/news/181031/clm1810310002-n1.html

 新日鉄住金副社長、改めて「遺憾」 元徴用工判決(朝日新聞 2018年11月2日)
 https://www.asahi.com/articles/ASLC255SKLC2ULFA01B.html

 日本政府が企業に対して「強制徴用賠償に応じるな」説明会(ハンギョレ2018年11月1日)
 http://japan.hani.co.kr/arti/international/32003.html

 まさに植民地支配責任などを完全に無視した姿勢でしかないが、主張しているのは「日韓請求権協定で、解決済みである。」という論調である。

 この論調を
① 世論における個人請求権の解釈
②「解決済み」論に対する対抗理論として
という部分に着目して整理していきたい。

2.2つの論点の整理

 論点を整理する前に、日韓請求権協定について簡単に説明しておきたいが、1965年に結ばれた日韓請求権協定は、アジア・太平洋戦争の戦後処理として1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約を基本にしており、このサンフランシスコ講和条約に基づいて「韓日両国間の財政的・民事的債権財務関係を政治的合意によって解決するためのもの」で、当時徴用犠牲者の未払い賃金やそれにまつわる補償として日本側が資金を拠出することとなった。
 したがって日本の植民地・戦争政策に深く加担した新日鉄工業の違法行為に対する慰謝料は含まれないという解釈であり、そのような論理で成り立っていることを予め頭に入れながら、これら韓日間の争点、問題とされている部分とその解釈を2つの論点で整理していきたいと思う。

①世論における個人請求権の解釈

 1965年の日韓請求権協定の解釈に対する議論は、韓国でも日本でも行われているが、日本政府は過去にこの解釈について、個人の請求権に関しては消滅していないことを認めている。

 日本政府 国会で「個人請求権」認めていた=「自己矛盾」との批判も(2017.8.20 聯合ニュース) http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/08/20/0200000000AJP20170820000400882.HTML

 また、1991年8月27日の参院予算委員会において、当時の柳井俊二・外務省条約局長は、
 日韓請求権協定における「両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した」という文言の意味を答弁しており、政府としての立場を明らかにしている。(PDF 9ページ、柳井局長発言は10ページから)
 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/121/1380/12108271380003.pdf

  「その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます

 また、1992年2月26日の衆院外務委員会においても、次のような発言をしている。(PDF 9ページ、発言は10ページから)
 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/123/0110/12302260110002.pdf

  「個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない
 「この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます

 このように個人請求権があるということは政府の立場からも断言しているため、現在言われている請求権の問題については、解釈のすりかえが読み取れるだろう。

②「解決済み」論に対する対抗理論として

 現在、日本国内において、日韓請求権協定で「解決済」と取りざたされている。しかし、本当に「解決済」と言えるのであろうか?

 日韓請求権協定において、そもそも日韓併合(植民地支配)自体を不法行為と見ていないという事実から鑑みると、日韓請求権協定において拠出された資金の性格は、個人の経済的損失を「補償」するというものでしかなく、違法(不法)行為に対して「賠償」するものではない。つまり、「賠償」としての慰謝料は支払われていないということが確認できる。また、あくまで「経済協力金」という名目であり、実質は民事的補償を行ったまででしかなかった。

 また、今回の判決は当時の国際法に照らし合わせたとしても、妥当な判決である。(日本は1932年に強制労働に関する条約(ILO29号条約)に批准している。)
 日韓請求権協定を反故にしているのではなく、むしろ新たに人権的な観点から救済しようという画期的な判決であったといえる。
 そもそも日韓請求権協定は政治的合意にすぎず、先に述べたように植民地支配の違法性も認めていない。その上で「経済協力金」という性格で韓国側に資金を拠出したまでであり、植民地下の不法行為に基づく犠牲者たちの慰謝料は日韓請求権協定に含まれていないことは事実である。
 そこで考えられるのは、植民地下における不法行為に対する慰謝料の請求権を追及するという方法である。つまり、日韓請求権協定を覆すという視点ではなく、むしろ日韓請求権協定に含まれていなかった内容を追及するという対抗理論である。

  “청구권협정은 정치적 합의일 뿐…청구권 시효도 남아있다”(請求権協定は政治的合意なだけ・・・請求権時効も残っている。)【京郷新聞】
 http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?art_id=201810302223025#csidx7adf990168e7101a4f7695e3a8ba8d6

3.まとめ

 このような歴史的背景や法の解釈などを無視し、「国際法に照らしたありえない判断」と一蹴することは、国際法や人権に関して無知をさらけ出すようなものである。日本社会ではこれに流され、深い考察や検証も無しにイメージや感情がひとり歩きしている。 この問題の論点となるべき部分は、植民地期と戦時体制の中で踏みにじられた人々の人権であり、二度と人々の人権と尊厳が踏みにじられることが無いようにすることであるはずだ。

 今回の新日鉄住金に限らず、植民地下における朝鮮人強制連行(徴用)犠牲者たちは、強制または虚偽の情報に騙され(誘拐、甘言)過酷で劣悪な環境での労働を強いられ、賃金も強制的に貯金させられ常時監視を受けながら監禁状態(監禁罪)におかれ、脱出が発覚すると逃亡を阻止するため暴行を受けることもあった(傷害罪(暴行罪))。
 このような明らかな違法行為と、それによって踏みにじられた人権に対して、慰謝料を払えということは当たり前のことであり、今回の判決のような人権的観点に論点をおいた判決を相対化させ、外交問題にし、それを抑圧する日本政府の非人道性は明らかである。

 日本政府の姿勢は、在日朝鮮人に対する差別的政策にも如実にあらわれており、歴史認識の欠如、またそこに向き合おうともしない強硬な姿勢がうかがえる。
 日本が犯した植民地支配という重大な人権侵害行為によって、数多くの朝鮮人の尊厳は踏みにじられ、また現在も踏みにじられつづけている。これはすべての朝鮮人に対する冒涜であり、歴史の歪曲である。今後も日本の植民地支配責任を問い続けていく必要がある。
 真の友好関係は植民地主義の清算なしではありえないということが、今回の裁判やそれを取り巻く世論を見ても、より切実な問題として浮かび上がるのではないだろうか。(婀)

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『米国は二つの顔でわれわれに対するのが恥ずかしくないのか』

 10月7日、マイク・ポンペオ米国務長官が朝鮮民主主義人民共和国を訪問した。今年4度目の訪朝であった。
 10月8日、朝鮮中央通信はこれを概ね肯定的に報道している。

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 米国でも中間選挙を前にしたインタビュー番組でトランプ大統領がこの間の朝米対話、関係改善交渉の成果を強調し、「これまで素晴らしい成果だと思う」と述べた。トランプは「(朝米交渉以降) 彼らはミサイル実験も、核実験も行っていない」とし、金正恩委員長との関係について「いいエネルギーを持っている。彼と良いケミストリー(相性)を持っている」と強調した。

 しかし一方で、米政府はこの間にも『対北朝鮮制裁』を強化しているのだ。
 米国の「ラジオ・フリー・アジア」によると米財務省は今月4日、米国が指定した共和国の個人・企業466件に対し「セカンダリー・ボイコット(第3者制裁)に注意」との警告文を加えた。つまり、第3国の企業や個人がこれら466の個人や企業と取引すれば米国内の資産の差し押さえなど制裁を受ける可能性があるということだ。

 このような『制裁』に関してトランプは今月9日、「制裁を解除したい。しかし、そのためには、我々が何かを手に入れなければならない」と記者団に語っている。

 なんとも奇妙な話か。一方で朝米対話を自身の成果として強調、金正恩委員長との信頼関係が構築されていると述べ、他方では『制裁』を強化し、しかも「ミサイル実験も、核実験も行っていない」以上の『見返り』を求め、それに対応しない共和国が悪いとばかりに語ってみせる。これのどこに真の信頼が芽生えようか。

 一方、先月27日、国連安全保障理事会の会合でラブロフ露外相は段階的な非核化に向けた共和国の行動に制裁の緩和が続くべきだと演説し、安保理の制裁緩和を求めた。更に「『北朝鮮』が協調姿勢を見せている背後で西側の理事国が制裁強化の道を押しつけてきたことは不適切に見える」と米国などを批判した。この制裁緩和の方向に中国も賛同している。

(参考記事 https://www.asahi.com/articles/ASL9X20SQL9XUHBI003.html)

 これに続き今月9日、朝中露3カ国が「3カ国外務次官」会談を終えた後、共同声明を発表、安保理に対共和国制裁の見直しを求めた。朝中露は共同声明で「共和国が非核化に向けて取った重要な措置を考慮し、3カ国は国連安保理がこれに合わせて対共和国制裁措置に対する再検討に着手しなければならないと考える」と明らかにしている。また「一方的な制裁に反対する共同の立場を確認した」とし、米国の独自制裁を批判した。

(参考記事 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181011-00031829-hankyoreh-kr)

 また南朝鮮では10日、康京和外相が『独自制裁(5.24措置)』緩和を示唆した。トランプの「韓国は米国の承認なしには制裁を解除しないだろう」などの妄言をはじめとした強い反発によって発言を取り下げる形となったものの、18日、文正仁大統領統一外交安保特別補佐官はこれについて「なぜわれわれは米国にばかり従うのか。それでわれわれは主権国家といえるのか」「米国が望むことを全てやらなければ韓米関係は改善しないのか。そうではない」「互いを主権国家として見るべき」「われわれが独自制裁に縛られていては、全ての交流・協力が終わってしまう」と強く懸念を表明している。
 ※ちなみにこのトランプの「妄言」に対して南朝鮮では大学生からも非難の声が上がっている。大学生らは米国大使館前で「米国は干渉せず対北制裁解除を邪魔するな」「トランプ”承認”妄言、韓国は植民地ではない」「トランプ”承認”妄言、公開謝罪しろ」などのプラカード、横断幕を掲げ強く抗議した。

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 これらの動きに対して日本では相も変わらず『米朝首脳再会談を控える米国と、制裁路線を堅持する立場から緊密に連携し、制裁継続の必要性を世界に訴える』などと自らを「蚊帳の外」に置くための妄言を垂れ流している。

 このような動きの中、朝鮮中央通信は16日、米国の制裁維持主張を強く非難する論評を発表した。論評ではポンペオ長官が「今回の訪問は非常に良かった、朝米が生産的な対話を交わした、今回も重大な進展を遂げ、今後も引き続き重大な進展を遂げていく」と満足の意を表した反面、上に述べたようなさらなる『見返り』を求める発言や『非核化が完全に実現するまで制裁は続けるべきである』などの発言が噴出していることに触れ、『米国務省は、「対朝鮮制裁緩和は非核化後に可能である」と繰り返し、これまで例外的に承認してきた人道事業のための訪朝申請まで許さない一方、非核化よりも南北関係が先行してはならないと南朝鮮当局に各方面から圧を加えている』と非難した。更に上記のトランプ”承認”妄言にも触れ、『北と南が歴史的な共同宣言を履行しようとすることに対しても「米国の承認がなければ駄目である」と釘を刺して全同胞を憤激させている』と評している。
 さらに『今回、平壌を訪れたポンペオ長官を通じて互いの立場を十分に理解し、意見を交わした大変立派な談話が行われたことをよく知っている米国がしらを切って善意を悪で返しているのだから、世界があぜんとせざるを得ない。表ではわれわれと親しくしようと手を差し出し、裏では別のことを言う米国は、外交慣例はもちろん、常識の軌道からあまりにも外れている。事実、米国が制裁を続けると言うのはすなわち、敵視政策をやめないということである。言い換えれば、関係の改善をやめるということである。敵視政策と互恵関係は両立しない。』と続けている。
 なんと全うな主張か。

 さらに20日、朝鮮中央通信は論評『米国は二つの顔でわれわれに対するのが恥ずかしくないのか』を発表した。

 かなり長いが、至極全うな共和国の主張がよく表れているので全文を引用する。
 情勢ニュースブログの読者のみなさまには是非読んでいただきたい。

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 最近、対朝鮮問題に関連して米国から聞こえてくる言葉が世人の頭を混雑にさせている。

 一方では米国務長官ポンペオの平壌訪問について米国が願う「すごく大きな成果」を収めたと宣伝する言葉が騒がしく、他方では「制裁持続」のような聞きたくない言葉が人々の耳を痛くさせている。

 米国の選挙遊説の場では、われわれは北朝鮮と本当に仲がいい、過去には彼らと戦争に向かっていたが今はいかなる脅威もなく、実によい関係を持っていると明るい笑みを浮かべ、記者会見の場など他の場所では北朝鮮が何かをする前まで制裁は続かなければならない、まだ北朝鮮に対する制裁解除は考えたことがないと厳しい表情をしている。

 米国務省も、一方では平壌訪問が非常に生産的で成功裏であった、北と論議されたのは「大した前進」だ、実務会談を早く開こうと熱意を見せながらも、他方では「先 非核化、後 制裁緩和」が一貫した立場だ、南朝鮮当局も南北協力事業を加速させるな、東南アジアと欧州諸国も対朝鮮圧迫共助を引き続き強めろと脅すように言っている。

 平壌に来て懸案とわれわれの憂慮事項に対して肯定していたうなずきが米国に戻ってはかぶりを振るのに変わり、シンガポール会談の際は北南関係の改善を「積極的に支持、歓迎」すると挙げたその両手で今は北南協力事業が「米国承認なしにはいけない」として遮断棒を下ろしているのだから、いかにしてあ然とせざるを得ないだろうか。

 見当がつかない米国の表情と態度は、疑問を生じさせている。

 いったい、笑う顔とぶっきらぼうの顔のうち、どれが米国の本当の顔なのか。

 本当に、朝米関係を改善しようとするのか、でなければ他の考えが思いついたのか。  

 あるいは、米行政府が国内政治的にいかなる強迫症と焦燥感に追われて心理的混乱を経ているのではないのやら。

 いかほどであれば、時と場所によって変わる言行と一貫性のない態度について米紙「ニューヨーク・タイムズ」までも政府が混乱のメッセージと空虚の脅迫、混雑を醸成する対朝鮮制裁政策だけを乱発していると非難しただろうか。

 もちろん、われわれは米国の11月議会中間選挙を控えているホワイトハウスの「困った事情」と「苦しい立場」を知らないのではない。

 今、米国の国内政治環境がきわめて複雑であり、このような中でおそらく何かを一つ決断して推し進めるのがどれほど頭を痛める過程になるのかをよく知っている。

 トランプ政策なら無条件に反対しながら心にもない「強硬」なことを言う人々が吐き出す毒素によって米国の政治土壌が「酸性化」したのは、災難の水準に近いと言うべきだろう。

 「だまされてはならない。非核化に対する北朝鮮の真情性を信じられない」と言って不信感を吹き込む人々、「対話とは別に最大限の圧迫を維持しなければならない。圧迫の水位を緩めるならそれは大きなミスになるだろう」として圧を加えなければならないと言う人々、「本当に想像できないのは核兵器の開発を北朝鮮に許すことだ」と言って核恐怖症まで招こうとやっきになる人々によって、真実と虚偽が同じ泥沼の中でごちゃまぜになっているのがこんにちの米国政治の状況である。

 どんなにあっけにとられたのなら、前職大統領のオバマまでも現状況について「わが米国の政治は下品で偏狭で恥知らずとなり、政治圏は虚勢と攻撃、侮辱、にせ主張、無理に偽装した憤怒がはびこる場となった」と慨嘆しただろうか。

 反対派が非核化だの、制裁強化だの、何のと言うのが平和のための善良な心からではなく、単にトランプ行政府を悩ませ、ホワイトハウスと議会を奪還するために繰り広げる投石にすぎないということは、誰にも明白な事実である。

 それだけでなく、朝鮮についてよく知らずに、最も現実的な非核化の方途について特に考えてみたこともない政治門外漢の無理押し以外の何物でもない。

 にもかかわらず、米行政府が反対派の顔色を引き続きうかがわなければならないのか。 政敵が汚水のように吐き出すデマと風説、雑言に耳を傾けていて真実のべルの音はいつ聞き、自分の道はどう行くつもりなのか。

 問題は、米行政府が自国内の強硬派の声はそんなに恐れながらも、自分らの信義のない行動と裏表ある態度が協商当事者の神経に障るという事実にあまりも鈍感なことである。

 偽善と欺まんに慣れ、ごう慢と独善が体質化された米国人は、自分らの一方的で二重的な態度に対して何でもないものに、当然なことと見なすだろうが、それが純粋で明白なことを好み、信義と約束を大事にする朝鮮人には耐え難い侮辱になることを知らなければならない。

 米国が平壌に来た時に言った言葉とワシントンに戻った時に言った言葉が違い、心の中の考えと表でする言葉が違うなら、今まで難しく積み上げてきた相互信頼のタワーは卵を積み重ねるようにとんでもないことになるだろう。

 米国が朝米協商を世紀をまたいで累積した両国間の敵対と不信の歴史にピリオドを打ち、新しい信頼関係を構築しようとすることではなく、互いに懐に刃物を忍ばせたまま抱擁する「ラムレットのキス」と思っているのか分からないことである。

 全世界がシンガポールでの両国首脳の対面を「世紀的な対面」「歴史を変える対面」として歓迎したのは、米国がついにこん棒政策を捨てて対話と協商の道に出たと見たからである。

 ところが、前ではわれわれの善意の措置に拍手を送り、振り返っては圧迫のこん棒を引き続き振り回すとしているのだから、われわれが二つの顔のうち、どの顔と相手すればいいのか。

 平壌で朝米間に和気あいあいとした談話が行われる時刻にさえ、米国では「圧力」が問題を解決する主な切り札であり、手に握ったこん棒を絶対に放してはならないという怒鳴り声が公然と響き出る有様である。

 どの程度の周辺感覚でもあるべきである。

 国際社会からは、米国がやり取り式の協商には関心がなく、ただ朝鮮が米国の圧力に頭を下げることだけを願っている、米国は非核化にのみあまりにも集中したあげく、はるかに深奥な発展を見られずにいるという非難が響き出ている。

 鳥も二つの羽で飛んでいるのに米国は自分の羽は畳んで朝鮮にだけ飛べと言っている、与えるものなく受けることだけが好きな米国は世間知らずで、代償なしに施すことだけをする朝鮮こそ本当の大人だと嘲笑(ちょうしょう)している。

 国連でも、ロシアは制裁が外交の代わりにならないとして、対朝鮮圧迫に強く反対しており、中国も力に頼るのは災難的結果を招くと警鐘を鳴らしている。

 しかし、米国は自分のどっちつかずの二重的思考と二重的態度のため、目標と手段をこんがらかって大事と小事をわきまえられずにおり、比例感覚とバランスの感覚さえ失う域に至った。

 内輪もめで苦しめられたあげく、今になっては自分らが願う結果が世界の平和と安定なのか、でなければ制裁・圧迫そのものか分からなくなったようだ。

 いくら国内政治が複雑で風波が荒っぽいとしても、最小限最初に定めた目標を失わなくてこそ思考と行動での一貫性が保たれ、朝米協商がその軌道に沿って真の目的地に向かって流れるではないか。

 われわれは、米国に善意と雅量までは期待しないが、受けたものだけ与えるべきだという初歩的な取引の原則にでも即して行動することを求める。

 朝米関係の機関車が相互信頼という蒸気を噴き出す時こそ力強く前進するというわれわれの主張と、それは制裁・圧迫というブレーキを引っ張るところにあると考える米国の固執のうち、どちらが正しいかはあえて聞く必要もないだろう。

 朝鮮人は、表裏あることと二面主義を軽蔑し、憎む。

 米国は、二つの顔ではなく一つの顔でわれわれと相手すべきである。

 それは、暗い顔色で失敗した過去を振り返る顔ではなく、やさしい眼差しで成功裏の未来を眺める顔だろう。


―――――――――――――――
 ここまで最近の朝米交渉とそれでも好転しない『制裁』の状況について述べてきたが、このブログでも何度も言及しているようにそもそもの『国際社会』ぐるみの対共和国『制裁』自体がはじめから不当なものであることに改めて注目しなければいけないのではないだろうか。

 米国は20日、旧ソ連との間で結んだ中距離核戦力(INF)廃棄条約を破棄する意向を表明した。

(参考記事
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36742660R21C18A0FF8000/?fbclid=IwAR00L5xFfyIw2BtI3D7aSCSOhoM7pP4uy0On0AVLb1NkWPLdM5wBzZ2cH8w)

 このように核軍縮の流れに自ら逆行する国から、『お前たちは持つな』と一方的に核の廃棄を迫られ、『制裁』を課されているのだ。

 思い出してほしい。
 早ければ今週から朝鮮半島の鉄道連結に向けた共和国での南北共同現地調査が始まるとの嬉しいニュースが飛び込んできたが、これは一度、米国(在韓国連司令部)の『許可』が下りず頓挫している。この事業が『国連や米国の対「北朝鮮」制裁の対象に該当しない』から実施可能とした南朝鮮当局の主張はなんとも残念ではあるが、4.27板門店宣言を誠実に履行しようとする民族団結の動きにまたしても『制裁』の名のもと米国が介入してきたのだ。

(参考記事 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31496.html)

 また、日本でも『制裁』の名のもとに在日朝鮮人、とりわけ総聯や朝鮮学校に対する差別が横行していることも忘れてはならない。

 『制裁』はもはや帝国主義国が自国の軍国化や市民らの統率を進めるための宣伝ツールとして用いられているではないか。さらに朝鮮民族をいつまでも自らの統治下に置きたい、置けると妄信する米国や日本をはじめとする国々が、共和国の繁栄・発展と朝鮮民族の自主的平和統一を阻害するために用いられている。
 このような状況に朝鮮人として怒りを禁じ得ない。

 一刻も早く不当極まりない全ての対共和国『制裁』を撤回させるべく声を上げ続けよう。(翔)

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日本を包囲しろ~朝鮮民族による記憶の闘い~

 チェコ出身の作家であるミラン・クンデラいわく
 「権力にたいする人間の闘いとは、忘却にたいする記憶の闘いにほかならない」

 筆者はこの言葉に全面的に賛同する。
 いや、賛同するどころの話ではない。我々は、在日朝鮮人は、いま一度この言葉を深く心に刻みつける必要があるのではないだろうか。
 改めてそのようなことを思わせる出来事がいくつかあった。以下に紹介したい。

 ①大阪市、サンフランシスコと姉妹都市解消へ 回答なしで(朝日 10月2日)
 (https://www.asahi.com/articles/ASLB16WN1LB1PTIL02Z.html

 ②安倍首相、「金大中-小渕宣言」20周年行事で、“過去”は見ず“未来”を強調(ハンギョレ 10月9日)
 (http://japan.hani.co.kr/arti/international/31813.html

 ③北朝鮮「プラス成長」主張 16~17年のGDP初公表 制裁下の発展アピール
 (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36427320S8A011C1000000/

 ①は2017年9月に民間団体によって米サンフランシスコ市内に設置された、日本による性奴隷被害者の像に関して、大阪市の吉村洋文市長が碑文に「性奴隷にされた何十万人の女性」と書かれていることなどについて、「日本政府の見解と違う」とし、1957年以来続いた両市の姉妹都市関係を解消すると一方的に解消すると通知した件である。
醜悪極まりない内容だが、参考までに以下に大阪市が公開している書簡を載せておこう。
 (参考①)サンフランシスコ市長宛公開書簡
 (http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/keizaisenryaku/0000448185.html

 ②は1998年に当時小渕恵三首相と金大中大統領により発表された「21世紀新しい韓日パートナーシップ共同宣言」(パートナーシップ宣言)20周年を記念し10月9日に東京で行われた記念シンポジウムに関する記事である。シンポジウムに参加した安部首相は、
 「両国関係が未来指向的になり、前進することができた」(※下線は筆者)
 「日韓両国の若者たちの相互交流を通じて、未来指向的な関係を構築したい。日韓関係の発展のために文在寅(ムン・ジェイン)大統領と共に努力したい」(※下線は筆者)
 と述べているように、繰り返し「未来指向」という言葉を用い、パートナーシップ宣言に言及されていた「両国が過去を直視」するという面にほとんど触れることはなく、韓日両国の未来指向的な関係の在り方を強調したそうだ。(そもそも論だが、植民地支配に対する一定の言及はありつつも、具体的な賠償、補償の在り方すら明記されていない「パートナーシップ」宣言には大いに問題があるが、紙幅の関係上それへの言及は控える。)
 (参考②)日韓共同宣言 -21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ-
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_98/k_sengen.html

 上記3つの記事は、日本における醜悪なまでの植民地主義精神とそれに派生する歴史修正主義がこの朝鮮半島における平和統一情勢の中にあっても、いやむしろその中だからこそ、より色めき立っていることを示す事例といえるだろう。
特に③の記事の内容は見出しだけをみれば、一見今回の主題とは関係ないようにもみえるが、その記事の中身は筆者をおおいに憤慨させた。
 以下は③の記事内の社会科学院経済研究所の李基成教授に対し共同新聞の記者がインタビューを行い、その中で今後の日本との経済協力に関して言及した箇所である。

 「南北関係が進展する中、李氏は「地政学的に有利な位置にあることを生かし、周辺国と協力して産業を発展させたい」と表明。日本との経済協力については「日本が敵対政策をやめて、植民地時代の被害に対する謝罪や賠償をするなら可能だろう」と話し、一定の条件が満たされれば貿易や科学技術交流、投資など多様な面での協力が可能との認識を示した。(※下線は筆者)

 下線にも示したが、ここで述べられている「一定の条件」とはおそらく李氏のいう「日本が敵対政策をやめて、植民地時代の被害に対する謝罪や賠償」を指しているのだと考えられるが、そうだとすれば「一定の条件が満たされれば(中略)(朝日の)協力が可能」とは、なんとも軽い、安易な表現ではなかろうか。
 周知の事実であるが、日本がいままで朝鮮民族に対する植民地支配責任を果たすため誠実な対応をしたことは一度たりとも存在しない。北南朝鮮、海外同胞の絶え間ない運動や声があったにも関わらず、である。「お詫び」や「謝罪」といった言葉を並べ取り繕う真似はしても、具体的な行動をとることは皆無であった。
 1965年に締結された韓日基本条約においては、過去清算の問題は請求権を相互に放棄するという形で妥結され、また1991年から12回にわたって行われた朝日国交正常化交渉においても朝鮮側による「植民地支配の被害に対する賠償、補償」の要求を一貫して否認し(事前にだされた自民、社会、朝鮮労働党による3党共同宣言には言及があったにもかかわらず)、大いに交渉の障害となったことにも明らかなように、日本にとって「植民地時代の被害に対する謝罪や賠償」を行うことは、「一定の条件」と軽く表現できるような類のものではなく、歴史上いまだ果たされていない、「大いなる責任」として捉えるべきであり、交渉の一ファクターとしか捉えられないような表現を行うこと自体に、深刻なまでの問題の深刻さへの無理解、当事者意識の欠如、そしてなによりもそれら全ての根である植民地主義的心性があらわれていると感じる。
 (参考③)3党共同宣言
 (http://www.chongryon.com/ss/comp/w27/w27_J.html

 現在、朝鮮民族の統一への気運は過去に例をみないほど高まっている。それに関連して、北南共同で日本による植民地支配期の被害を回復、真相究明を行う動きもまた表面化してきている。

 ④南北が慰安婦など日本戦争被害国際大会を開催(ハンギョレ 10月8日)
 (http://japan.hani.co.kr/arti/politics/31796.html

 ⑤南側民和協が平壌を訪問/強制連行被害者遺骨奉還問題など民間交流について協議(朝鮮新報 7月21日)
 (http://chosonsinbo.com/jp/2018/07/21suk-6/

 ⑥南北共闘で日本による強制動員問題の解決目指す 韓国で団体発足(聯合ニュース 8月9日)
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180809-00000045-yonh-kr

 このような朝鮮民族の動きに対して日本側は当初から、植民地支配の責任を巡る「南北共闘」を恐れているとの見方があるのは周知のとおりである。(南北共闘という文言自体、本来は不必要なものではあるが)

 ⑦日本政府、南北共闘を警戒 板門店宣言「民族共同行事」で 慰安婦・徴用工問題が再燃も
 (https://www.sankei.com/politics/news/180506/plt1805060005-n1.html

 そう、敵は恐れているのだ。100年以上もの間、一方的に殺し、略奪し、離散を強い、そして「不問に付されてきた」その罪を問われることを。冒頭で紹介した記事①②にみられるような動きは、日本の植民地主義的心性の継続、と表現する以外にも、上述してきたように朝鮮民族が一丸となって、その責任を問うてくることに対する反動的現象、つまり日本帝国主義の悲鳴とも捉えられるのではないか。筆者はそう感じている。

 さて、最後に、我々在日朝鮮人はこの事態にどのように対処し、主体的に関わっていくべきかを述べて終わりにしたいと思う。

 筆者はなによりも在日朝鮮人の一人一人が、在日朝鮮人の専門家として、日本帝国主義によって引き起こされた在日同胞への被害の歴史、現在をしっかりと調査、記憶し、継承、そして主張していくことが求められているのではないかと感じている。
人によってはこれは「当たり前のことではないか」と思われる方もいるかもしれない。
言われるまでもないと思われるかもしれない。

 しかし、現状はどうであろうか。

 筆者はいち在日朝鮮人として、現在の在日同胞社会をみつめたとき、そこに上述したような姿勢を殆どといっていいほどみることがないと感じている。
 同胞社会内でよく耳にするものは「朝鮮学校」や「無償化」「現在の統一への盛り上がり」といったように(それ自体に関心をもつことは必要だし、否定しているわけではない)極端に限定されている印象を感じざるを得ない。
 いったいどれだけの同胞が、例えば日帝による強制動員の被害、その究明に主体的に関わっているのか、その現状をどれだけ把握しているのか、ここ数年来全国的につづいている、日本各地の朝鮮人強制動員被害に言及した碑石への官民による弾圧に関心を持っているのか…。
 朝鮮学校やそこに通う生徒、そして現在の統一気運は、いずれも目に見えやすい「いま」でしかない。我々はもっと「記憶」にまつわる物語に関心をもたなくてはいけない。それが歴史性を自覚することだと筆者は考えている。
 昨今の統一気運によって、同胞社会内に祖国朝鮮への関心をもつようになった者が増えたのは肌身に感じている。それ自体は喜ばしいことであるし、より関心をもつべきだとも思う。しかし、その明るいムードの中で、遠くに目がいきすぎ、足元がみえていないのではないか?とも感じさせられる。足元とは、我々が住むこの「日本」であり、そして「在日朝鮮人」のことである。足元がみえず、情勢の勢いにただ乗りするかのような、妙な「未来指向」に我々もまた毒されてはいないだろうか。

 在日朝鮮人への被害やそして抵抗の歴史、それは在日朝鮮人ひとりひとりがその専門家として責任をもち記憶していくほか、ない。
 朝鮮学校の建設、各種権利の取得と並んでまた、植民地支配による被害の実態を究明し、継承、伝えてきたのも在日朝鮮人自身であった。それは歴史が証明している事実である。

 筆者は安易な「在日志向」を推奨しているわけでは決してない。
 そうではなく、その現場にいるものとして責任をもつべきだといいたいのだ。
 日本による植民地支配によって在日朝鮮人に引き起こされた被害の歴史、それを責任をもち、知り、究明し、また広く伝えていく、そこをもって、現在の北南朝鮮による「共闘」に我々も主体的に参加し、「日本」を包囲しなくてはならない。抽象的な在日「架け橋」論ではなく、その歴史性を共有し、その現状を打開、改編していく主体として我々在日朝鮮人は参画しなければならない。それが朝鮮民族であることだと筆者は考えている。

 図1


 最後に在日朝鮮人作家である黄英治の一節をひいておきたい。

「父の記憶は火葬された。帝国主義―植民地時代を生き抜いた、父がその脳髄に刻み込んでいたさまざまな記憶は、火葬場の煙突から、原子となって大気に放出された。永遠に語られない物語。失われた記憶。父の記憶をみすみす火葬してしまったという大きな悔い、その罪。私はそれをどう償えばいいのか。」 黄英治『記憶の火葬』

 これ以上、記憶の火葬を許してはならない。

 我々は朝鮮民族としての集団性を意識ながら、在日朝鮮人という現場にいる者としての責任を自覚し、日本帝国主義ににたいする記憶の闘いを行わなくてはならない。
 そんなことを思う今日この頃である(尚)

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