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「安倍談話」を読んで

8月14日に発表されたいわゆる「安倍談話」。

過去の村山談話、小泉談話より後退されたものが発表されることはわかっていたのでいちいち怒りも湧いてこないかなと思っていたのだが、あまりの醜悪さに強い怒りを感じざるを得ない。

ニュースでは、「侵略」、「おわび」の表現が使用されている、などといった論調があるが、言葉を使うかどうかが問題ではない。言葉はどのような文脈で使われるのかによって、初めてその意味が出てくるというのは言うまでもないことである。

安倍談話の中で特に気になった(=怒りを覚えた)部分を、以下に抜粋したい。

まず「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」という部分には本当に驚愕した。
植民地支配の下にいた人々を勇気づけるどころか、日本は日清戦争、日露戦争によって朝鮮植民地支配を決定づけ、その後実際に植民地支配することになったのではなかったのか?朝鮮や台湾の人々はアジアの民衆ではないのか?

「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」などは、右派がABCDラインがどうのこうのと、よく太平洋戦争を正当化する上で使う論理そのものではないか。

「戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか」。こんなものは被害者に対する侮辱以外の何ものでもない。「寛容」という言葉は被害者が使うものであり、加害者が言うものではない。

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。もうここまで来ると言葉も出ない。あえて談話の言葉を借りるなら、口だけの「おわび」でまともな補償をしないことが「謝罪を続ける宿命を背負わせて」いるのではないのか?

彼の本音はもっと強烈なところにあり、侵略ではない、悪いことなど何もしていない、詫びる必要などなにもない、といったところなのだろうが、さすがにそうは言えないから、「配慮」をした結果、おそろしくこんな冗長で空疎で、長い割には意味のない文章になったのだろう。

安倍談話は、
-戦前の日本の歴史を美化するとともに、
-国内と欧米諸国だけに向けられたメッセージであり、
-植民地支配に苦しみ、まともな補償を受けられなかった結果今も苦しむアジアの民衆、被害者のことなど念頭にもない、
といったところに尽きるのではないだろうか。

安倍首相に人として問いたい。

あなたは、他国に支配され、無理やり望まない戦地や労働現場に送られ、重労働と激しい差別に苛まれ、異国の地で死なざるを得なった人々の気持ちを、一度でも想像したことはないのだろうか?

あなたは、騙されて戦地に連れて行かれ、性の奴隷にされ、無理やり多くの兵士の相手をさせられ、あらゆる侮辱を受け、人間としての尊厳をすべて踏みにじられた女性たちがその時、そして今何を思い、何を感じたのかについて、人として一度ぐらい思いを馳せたことはないのだろうか?

多分、問うたところで無理であろう。

しかし、これは彼個人だけの問題ではない。
この彼と同じように、もしくはそれ以上に、上記のように思っている人たちがたくさんいる。

それが私たちが住む今の日本の現状である。

解放70年、日本では終戦(敗戦)70年。10年後の80年(2025年)の今も、おそらく歴史について多くが語られるだろう。
しかし、10年後には本当に被害者はほとんどいない。
そのことを考えるとゾッとする。

そして、この歴史の否定は、すなわち日本の植民地支配の一番の証人である、われわれ在日朝鮮人の否定につながる。(現に、ヘイトスピーチや朝鮮学校差別に見られるように、在日朝鮮人を否定する動きが顕在化しているではないか。)

我々の闘いは歴史の闘いである。
歴史の忘却に対する、記憶の闘い、存在の闘いである。

解放70年、大いなる怒りとともに、改めてそれを肝に銘じたい。(賢)
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